よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第三章 小手先と本質(前)

岩井三四二Miyoji Iwai

   一

 明治三十三年五月。
 神戸沖での観艦式(かんかんしき)が終わってひと月が過ぎている。
 築地(つきじ)の委員会室には、委員長の外波(となみ)中佐をはじめ、委員と委員会付きの技手たちがあつまって議論していた。ここまでの進捗を総括し、無線機のさらなる改良に取りかかろうというのである。
「まず、こんなところですかね」
 黒板にずらずらと改良すべき項目を書きつけた松代(まつしろ)技師が、手をたたいてチョークの粉を落としつつ言った。
 送信機については、インダクションコイルを強力なものとし、それにともなって大きくなる電流や電圧に耐えるよう、細々とした改造をする。
 受信機のほうは変圧器を増設したり、リレー(継電器)を鋭敏にした上で二重にする、コヒーラ管につながる電池の電圧を上げる、等々である。
「やはり受信機のほうが繊細ですね。やさしくあつかってやらないと、言うことを聞いてくれない」
「女とおなじか」
「私はそんなこと、言ってませんよ」
 外波中佐とのやりとりに、明るい笑いが起きる。
「なにか質問はあるか」
 外波中佐が一同を見渡して問うた。と、中佐の目が駿吉(しゅんきち)のところで止まった。駿吉は右手で顎を支え、目を閉じてなにか一心に考えているようだ。
「木村(きむら)博士、なにかあるかな」
 声が聞こえたのか、駿吉が目を開けた。
「ああ、いや、ありません。やらなきゃならないことばかりで、妥当なところでしょうな。ぼくも音響式のほうを改良しなきゃ。しかし……」
「しかし、なにかな」
「これをしたからといって、通信距離が大幅に伸びるとは思えませんな」
 場の空気が、一瞬、凍りついた。いままでの議論が、すべて無駄だと言わんばかりの発言だったからである。
「だってそうでしょう」
 駿吉はおかまいなしにまくしたてる。

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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