よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第三章 小手先と本質(後)

岩井三四二Miyoji Iwai

   四

 無線機の扱い方を将兵に教える講習は、まず下士卒むけに明治三十四年一月から、そして士官むけは少し遅れて三月から始まった。
 生徒としてあつめられたのは、将校も兵士もみな横須賀の水雷術練習所(すいらいじゅつれんしゅうしょ)(のちの海軍水雷学校)を出た者、いわゆる水雷屋ばかりである。通信兵は別にいるので、そちらを教育すればよさそうなものだが、そうはならなかった。
 水雷術は機雷、魚雷、爆雷をあつかう技術だが、制御に電気仕掛けが多いので電気の知識を持った者が多く、無線に適任ということらしい。
 対して通信兵は数が少ない上、主として旗の信号を担当していたので、電気を扱うのは不向きということだが、それは表向きで、実は発案した外波(となみ)中佐自身が水雷科の出身だからではないか、と駿吉(しゅんきち)はにらんでいた。
 海軍の中でも、砲術や航海術など扱う専門技術によって、派閥らしきものができている。
 一番多いのが砲術を専門とする者で、俗にテッポー屋と呼ばれている。ほかに水雷をあつかう水雷屋、航海術を専門とする航海屋などがあり、それぞれがそれぞれの勢力を気にしていた。
 そんな中で、水雷屋とは別派閥の通信兵は外波中佐のコントロールが利かず、思うように呼びあつめられないのではないか。また、水雷屋の領域を無線にまで広げようとの思惑もありそうである。
 とはいえそれは駿吉には関係のない話だ。命じられたとおりに教壇に立つことにした。
 下士卒向けには主としてモールス信号の打ち方や機器の操作方法を教えるので、駿吉は初めの段階で電磁気学の基礎理論を教えるにとどめ、多くは無線調査委員会付の下士官たちが教官となって、打電や機器調整の訓練を実施した。
 対して士官向けには原理をみっちり教えろというので、三月半ば、駿吉は張り切って教壇に立った。
「諸君らは士官だから、兵学校や機関学校で物理学は修めてきていると思う」
 築地(つきじ)の海軍大学校内に設けられた教室で、九名の少尉や中尉たちを相手に、駿吉はしゃべっている。この者たちはすでに二週間、モールス信号の基礎訓練を受けてきていた。
「であれば電磁気学の基礎は身についているはずだよな。そこでこの時間は、無線の原理を説明する。なぜ無線なるものが成立するのか。そもそも電波とは何か」
 そう言って生徒たちを見渡した。兵学校を出たばかりの少尉は二十歳そこそこ、中尉でも二十四、五歳くらいだ。中には赤いにきびを頬に残している者もいる。問いかけに誰も反応せず、むっとした顔で駿吉をにらみつけている。
 しかし学力では高等学校レベルの難関である海軍兵学校を卒業しているのだから、理解は早いはずだと駿吉は思っている。

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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