よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第四章 海上は波高し(後)

岩井三四二Miyoji Iwai

   四

 九月の末、外波(となみ)中佐と駿吉(しゅんきち)は、英国の田舎道をゆく馬車の中にいた。
「日本じゃいまごろ、田圃(たんぼ)で稲穂が風にそよいでいるだろうに、稲なんて影も形もないな」
「そりゃそうだ。こっちの連中は米を食わないんだから」
「見えるのは緑の牧場と羊ばかりか。まあ、美しいといえば美しいけれど」
「けれど、なんだ」
「どうも冷たく取り澄ましているようで、親近感が湧きませんなあ」
 駿吉たちの乗った客船エトリューリア号は、ひと月ほど漂流した末にアフリカ北岸の島に流れ着いた。船員が上陸し、近くの通信局から海底電信で助けを呼んだ。乗客たちは救助にきた船に乗り換えて、なんとか英国にたどり着くことができたのである。
 やれやれと思ってロンドンの日本大使館に出頭すると、大使館付きの武官に、
「この緊急時に渡航にひと月もかかるとは、なんたる怠慢か」
 と叱られてしまった。自分たちのせいではないのだが、漂流しているあいだ毎日何もせず酒を飲んでいたのは事実なので、怠慢といわれればその通りだった。理不尽と思いつつも反論はしなかった。
 ともあれ予定が大幅に狂ってしまっていた。派遣期間は十ヶ月と定められているので、急がねばならない。
 駿吉は、あらかじめ日本から手紙を出して、研究の紹介を頼んでおいたヨーロッパ各国の大学や研究機関をたずねるべく、いそいでフランスへ渡った。外波中佐はしばらくロンドンにとどまり、英国海軍と折衝して無線に必要な機材の入手に手を尽くす。そののち、ロンドンを離れてフランスとイタリアの海軍をたずね、各国の無線事情を精力的に見てまわる。
 そうして夏がすぎた。エドワード七世の戴冠式(たいかんしき)と観艦式のために日本から浅間(あさま)と高砂(たかさご)がきたことは知らされていたが、そのころ駿吉はオーストリアに、外波中佐はフランスに出ていたので、乗組員たちと接触する機会はなかった。
 九月半ばすぎには駿吉もロンドンへもどってきて、外波中佐と合流した。そろそろ帰国の準備にかからねばならない。
「いやあ、あまり収穫はありませんな」
 と駿吉は報告した。フランス、ドイツ、オーストリアへ行って、無線の論文を発表している研究者をたずねたものの、論文に出ている以上の知見は得られなかった。とくに同調法についてはまだ誰もが手探り状態で、実用化に向けての動きさえも見られない。

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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