よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第五章 神は細部に(前)

岩井三四二Miyoji Iwai

 三月の末には、恒例の海軍大演習で無線の実験も行われたが、二等巡洋艦では三十海里(約五十四キロメートル)、駆逐艦で五海里(約九キロメートル)という結果に終わった。アンテナが低いので、なかなか距離が出ないのだ。当然、批判された。
「だからさ、原理がまだわかっていないから、対策もできないんだって!」
「そろそろそれでは通らなくなるぞ」
 と外波中佐は言う。軍内部の目が厳しくなっているのだ。駿吉たちには気が重くなる事態だった。
 そのうちに英国から、ジーメンス社製のリレーが届きはじめた。昨年の英国出張で外波中佐が仕入れてきたものである。
 これは効果があった。感度がよく、これまでの国産のリレーと取り替えてみると、通信距離が明らかに伸びる。積んでいる艦の大きさによっても違うが、中には二倍以上に達する場合もあった。駿吉はおどろき喜ぶ一方で、悲哀も感じさせられた。
「科学技術の底力のちがい、ってやつかねえ」
 欧米と日本では、まだまだ技術の格差が大きいと、あらためて痛感させられたのである。
 輸入品は高価だし、入ってきた数もまだ少ない。すべての艦に取り付けるのは時間がかかりそうだ。もどかしいことだった。
 潮風が頬にやさしくなり、桜が三分咲きになった四月初め、ようやく山本大尉が無線電信試験所に赴任してきた。
「おお、君だったのか」
 と駿吉は顔を見るなり大きな声を出した。
「やあ、たしかに二回目の無線講習のときにいたな。教室の真ん中で堂々と居眠りをしていた。そうか、君だったのか」
 駿吉はまったく悪気がなく、ただ頭に浮かんだことを口に出し、笑顔で握手を求めたのだが、山本大尉は仏頂面で力のない握手を返してきた。
「なんだ元気がないな。そんなことでは世界最先端の技術開発はできんぞ。さて、君にはぜひ研究とともに生産のほうもみてもらいたいと思ってるんだ。やってくれるな」
 駿吉の問いに、山本大尉は小さくうなずいただけだった。
「試験所も、少し組織を変えようと思う」
 外波中佐がふたりの会話に口を挟んだ。
「山本大尉には、もちろん研究開発をしてもらうが、同時に生産ラインと据付もみてもらう。木村技師は開発と完成品の検査だ。みなで手分けしてやってゆこう」
 そして全体をまとめるのが外波中佐というわけだ。もちろん駿吉に異存はなかった。
 山本大尉は不満なのか興味がないのか、ぶすりとした顔でうなずいただけだった。

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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