第五章 神は細部に(前)
岩井三四二Miyoji Iwai
――おや、この男は何か含むところがあるのかな。
あまり他人を気にしない駿吉も、これにはちょっと心配になった。
山本大尉にしてみれば、とんでもない話だった。
やっと念願の艦隊勤務となったのに、一年ちょっとで陸上勤務に逆もどりとは、どういうことだろうか。
海軍軍人は、海の上こそが勤務場所のはずだ。実際、艦上をはなれて陸上勤務が長いと、
「あいつは潮気が足りない」
と言われ、軽く見られてしまう。
実務の上でも、将校として艦に乗り組めば当直が回ってくる。当直のあいだは艦の操船をまかされるのだが、何千トンという艦を海図に示された航路のとおりに航行させるのは、経験を積まないとできないことだ。
他の船や岩礁など障害物を考慮し、風や潮流の強さもみて、機関員には速度を、舵手(だしゅ)には舵(かじ)の切り方を指示する。このくらいの大きさの船でこの速度なら、舵をどの角度でどれだけの時間保っておけば狙った航路にすすむのか。それは理論ではなく一種の体技であって、実際にやってみて体で覚える必要があるものだ。
艦の操船をあやまれば恥をかくどころではすまない。座礁したり他の船と衝突するなどしたら、最悪の場合は懲罰ものである。
そして昇進して艦長になれば、港での入出港時にみずから操船の指揮をとらねばならない。大きな船を狭い港内で動かすのでむずかしいが、これが下手だと部下の乗組員に馬鹿にされてしまう。
何にしても若いうちから艦上で潮気を浴びて経験を積まないと、海軍軍人としてはまずいのだ。もちろん、昇進にも差し障る。
――余計なことをしたか。
と、五十枚にもおよぶレポートを出したことを後悔したこともあった。あれがなければ無線電信試験所などに呼ばれなかったはずだ。もしかすると、これは三四式無線機に厳しい評価を下したことへの嫌がらせか、とも思える。それが証拠に、開発者の木村技師はとてもうれしそうだった。
とにかく面白くない。
それに、機器の開発などこれまで経験がない。兵学校を出ただけで、電気の基礎知識すらあやしいのだ。それでどうやって研究や生産ラインの監督をしろというのか。
とはいえ、一度出た辞令は覆らない。艦隊勤務の希望を出しつつ、転属になるまで耐えるしかないだろう。まったく、ため息の出る話だ。
こうなったら、と山本大尉は決意した。
――やりたいようにやって、早いところここを追い出されるよう、仕向けてやれ。
なに、そんなことは簡単だ。三四式無線がいかに使えない機械であるかを暴き立ててやればいいだけだ。
- プロフィール
-
岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。