よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第五章 神は細部に(前)

岩井三四二Miyoji Iwai

   三

「いや、いいけどさ」
 駿吉は熱意のない声で言う。
「もう少し待てねえのか。いまの三四式じゃあ、悪い結果が出るのはわかってる。あと半年もあれば、もう少しましなのに取り替えられると思うんだが」
「待てない。半年のあいだに開戦となったら、どこまで届くかわからない無線に頼って作戦を行うことになる。もう戦艦と巡洋艦に据え付けてあるんだから、いまのうちに性能を知っておきたい」
 山本大尉はゆずらない。ふたりはせまい所長室に入り、外波中佐の机の前で議論している。
「そりゃそうだが、ふた月のあいだに開戦ってのはないだろう」
「ないと断言できるのか。断言できるだけの情報をあんたが持っているとも思えんが」
 はあ、と駿吉は息を吐き、
「ねえ、何とか言ってやってくださいよ」
 と外波中佐に助けを求めた。ふたりのやりとりをだまって聞いていた外波中佐は、所長用の机に肘をついたまま、
「いまのままなら、どれくらい届くと思う」
 と駿吉にたずねた。
「まあ戦艦同士で二、三十海里、巡洋艦が入ると十から二十海里ってところでしょうね。アンテナってのは、動くと性能が落ちるから」
 戦艦や巡洋艦が高速で航行しているときの無線の届き具合を調べたい、と山本大尉は言うのだ。
 遣英艦隊がインド洋上で行った実験は、互いに十ノットほどの巡航速度で、しかもおなじ方角に進んでいるときだった。しかし海戦となれば戦艦や巡洋艦は、二十ノット近い高速でさまざまな方向に移動する。そのときに通信距離はどうなるのか、知っておきたい。
 ちょうど九州沖で演習が行われているので、そこに乗り込んで試験したいと言う。
「十から二十海里とは悲惨なもんだな。だが隠すわけにもいかん」
「隠そうなんて思ってないですよ。ただ、どうせなら改良したやつで試してほしいってだけで。先に付けた戦艦なんか、まだリレーも替えてないし。いまから替えようったって、余ってないしな」

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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