よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第五章 神は細部に(前)

岩井三四二Miyoji Iwai

「演習は待ってくれません。無線の実験だけのために戦艦を何隻も、ましてや高速で動かすわけにはいかないでしょうが。今度の演習を逃すと、あとはいつになるかわかりません。やるべきです」
 山本大尉は外波中佐に言いつのる。
「そうだな。無線の実験に使うフネを一隻、決めてくれと申請はしておるんだが、まだ返事がない。今度の機会は得がたいな」
 うなずいた外波中佐は、駿吉に向き直って言った。
「よし、ひとつやってみよう。何なら貴様、九州まで行ってちょっと潮気を浴びてくるか」
「うーん、そうですか。仕方がないなあ。といってもぼくは、課題を山のように抱えているし。困ったな」
「実際に使う者の意見を、直(じか)に聞くのも必要でしょう」
 山本大尉は迫る。
「そりゃそうだが」
 どうせ改良した機器でも実験するのだから、いまやると二度手間になる、と言いたいのだが、山本大尉の要望も無視できない。
「九州まで行くと、それだけこちらの仕事が遅れちゃうからな。実験はお願いしますよ。結果を教えてくれれば、それで十分だ」
「逃げるんですか」
「え?」
「自分の造った機材に責任をもってください」
 駿吉は呆気(あっけ)にとられ、山本大尉の丸い赤ら顔をぽかんとして見つめた。
「山本大尉、ひかえろ。実験に立ち会わぬから責任回避とはならん」
「失礼しました」
 外波が無礼を咎(とが)めたが、駿吉は目を見ひらく思いだった。そんな風に見られていたのか。それともこの大尉は、どこか含むところがあるのか。敵を作るようなことはしてこなかったつもりだが。
「では山本大尉、ご苦労だが実験を担当してくれ。誰をつれてゆく?」
 外波中佐は冷静だった。
「では立石(たていし)兵曹長を」
 その場はそれで済んだ。駿吉はわだかまりを抱えたまま報告を待った。
 実験の結果は六月半ばに出た。
 戦艦敷島(しきしま)と巡洋艦常磐(ときわ)とのあいだの交信では、常磐は十八海里まで、敷島は八海里で受信が不明瞭になった。やはりアンテナが低い上に動きが速いと、発信力が低下するだけでなく、受信も困難になるのだ。

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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