よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第五章 神は細部に(前)

岩井三四二Miyoji Iwai

 実験が成功したとしても、それだけでは理論の証明にならないのではないか? もっと多くの場合について、しらみつぶしに確かめてゆく必要があるのでは?
 立ったまま日射しをあび、風に吹かれて考えているうちに、昨夜からの興奮がだんだんと冷めてゆく。
 ――うーん、こりゃ駄目かな。
 はなはだしい既視感だった。宝石を見つけたつもりがよく見たらごろた石だった、という体験は研究者の日常である。今回もその例にもれなかったようだ。
 やれやれ、と思って気がつくと、船着き場に着いてかなりの時間がたっていた。
 おや船が遅いな、と思ってから、はたと気がついた。
「今日は日曜日じゃないか!」
 道理で船着き場に人がいないはずだった。
 肩を落とし、ひとつため息をつくと、駿吉は重い足取りで家にむかった。

 翌日の月曜日、駿吉は兵器廠の自室にいた。昨日の失敗を外波中佐に話して笑い飛ばし、また研究の手順を考えていた。
 そこへ、ノックとともに入室したのは、見憶えのない男だった。兵器廠の主計官だという。
 はて何か経理上の問題でも出たのかと思っていると、男はロシアの脅威をとうとうと述べはじめた。
「……であるから、わが軍は早急に開戦して、旅順(りょじゅん)の艦隊を叩(たた)かねばならない。でなければバルチック艦隊が襲来して二倍の敵を相手にしなければならなくなる」
 誰もがわかっていることを、男は一席弁じ立てた。そのあとでこう言う。
「そこでわが軍の装備である。艦の速力、砲力は優秀だ。なにしろ主力の戦艦と巡洋艦はみな英国製の新造船だからだ」
 男の勢いに押され、駿吉はとまどいながら聞いている。
「しかるに新たな装備となるべき無線はどうか。聞き及ぶところによれば、英国製ならば百海里(約百八十キロメートル)も届くというのに、貴官の作った無線は二十海里がせいぜいと言うではないか」
「……まあ小さい艦だと、いまのところは」
「それでは困るではないか。ロシア側が同盟国ドイツの優秀なる無線を積むとすれば、そいつはおそらく英国製とおなじ程度の性能を有するであろう。しかるにわが軍の無線がその半分も届かないのでは、太刀打ちできないぞ。貴官のせいでわが軍が負けたらどうするつもりだ」

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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