よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第五章 神は細部に(前)

岩井三四二Miyoji Iwai

「…………」
「なぜ国産に固執するのだ。英国製を買えばよいではないか。同盟国だから喜んで売ってくれるだろう。そうすればいますぐにでも百海里とどく無線が手に入る。貴官が開発をあきらめて、英国製を買うよう上申すれば、わが軍が負けることはない。わが輩は国を憂い、国のために貴官を説得にきたのである」
 言い終わったとき、男の顔は上気していた。
 駿吉は呆(あき)れつつも、背後の事情を推理していた。
 主計将校が、世界の先端をゆく機器であり軍の機密になっている無線にくわしいはずがない。誰がこんな知識を吹き込んだのか。
 どこかから漏れ聞いて、おっちょこちょいがひとりで踊っているだけかもしれないが、この男の背後に組織立った動きがあるのかもしれない。
 いずれにしても外波に相談だなと思いつつ、今日はまず適当にあしらっておかねば、と考えた。
「貴官は」
 と駿吉は男の真似をしてよびかけた。駿吉は技師で高等官四等なので階級でいえば中佐相当である。相手のほうが階級は下なのだが、軍の中で文官は下に見られがちだ。
「貴官は英国製が百海里とどくというが、それを実地に確かめたことがあるのか」
「……いや、ない。しかしそういう話だ」
「ぼくの知る限り、日本人で英国製の艦載無線機で百海里の通信を体験した者はいないし、英国海軍が公式に発表しているわけでもない。無線の能力はどこの国にとっても重大な機密だからね。だから貴官の主張には根本の確証がないということになる。架空の説に基づいて非難されても困る」
「しかし、無線で大西洋横断通信がなされたというのは、事実だろう」
「そいつは事実のようだ。しかし問題はアンテナだ。ぼくはこの目で、大西洋横断通信用のアンテナを見たことがある」
 駿吉は即座に言い返した。
「英国のボルデューというところでね。あれは象やキリンを何頭でも閉じ込めておけそうなでっかい建築物だった。あんなアンテナを軍艦に設置したら、大砲も水雷も積めなくなる。それに莫大(ばくだい)な電力も使っているだろう。軍艦用としてはとても実用的とはいえない」
 男はむっとした顔をした。

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

Back number