よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第五章 神は細部に(前)

岩井三四二Miyoji Iwai

「だいたい英国製のを買うというのは、すでに否定されている。いまから英国へ行ってマルコーニ社と交渉してみたまえ。話をつけるだけで三カ月、むこうが製造するのに半年はかかるだろう。そいつを日本へ持ってきて据えつけ、兵員が操作に習熟するのに半年や一年はかかる。都合二年だ。それまでロシアは待ってくれるのかね」
「…………」
「うちの無線も、地上で高いアンテナを立てればそこそこ行くんだが、巡洋艦のような小さなフネだとむずかしい。そこを何とかしようと苦労してるんだ。もう少し見守ってくれないか」
 論破してやったと思ったが、それでも男は鋭い目で駿吉をにらんでいる。
「するとわが軍の運命は貴官の腕前にかかっている、というわけだ」
「そんなことはないと思うが。この細腕で支えられるようなやわな海軍ではなかろう」
「いや、そうだ。貴官はわが軍の勝敗の鍵を握っている。無線の開発ができれば勝ち、いまのままなら負ける。その自覚があるのか」
「無線の開発はぼくの責任でやっている」
「もし英国製と同等の無線ができなかったら?」
「できないとは考えていない。現に図面一枚からここまできている」
「覚悟の問題だ。できなかったらわが軍は負け、日本はロシアに占領されて悲惨なことになる。それをわかってやっているのか。もしできなかったら腹を切る覚悟があるのか」
 男はじっと駿吉を見詰めてくる。
 ――つきあえねえ。狂気の目だ。
 駿吉は背中に冷たいものを感じた。海軍のほとんどの将校は理知的だが、中には狂信的な者もいる。この男もそのひとりだろう。
 ここで負けてはならぬと腹に力を入れ、答えた。
「その覚悟でやっている」
 男はしばしだまっていたが、やがて、
「それを聞いて安心した。切腹覚悟ならできぬことはないだろう」
 と言うとさっと立ち上がって敬礼し、
「邪魔をした。では武運を祈る」
 と言ってさっさと帰っていった。
「何でしたか。腹を切るとか切腹覚悟とか、物騒な声が聞こえましたけど」
 立石兵曹長が部屋に入ってきて、心配そうな顔をする。
「まったく、何言ってやんでえ」
 駿吉もやるせない。怒りなのか恐怖なのか判別のつかない感情が生じている。しかし世間ではそういう見方をする者もいる、と考えて納得するしかなかった。自分が日本の命運の幾分かを握っているのは、確かなのだから。

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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