よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第五章 神は細部に(前)

岩井三四二Miyoji Iwai

   六

「じゃあ、まずは三十センチのインダクションコイルだ。頼んだよ」
「わかりました。必ずご期待に沿うものを造ってみせます」
 深々と頭を下げた痩せぎすの男は、一歩下がってからくるりと踵(きびす)を返し、会議室を出て行った。
「どうかな。あてになるかな」
 外波中佐が八の字髭(ひげ)をなでて問う。
「さあ。しかし他に手がないんだから、やってもらうしかないでしょう」
 駿吉はさばさばと言う。
 痩せた男は安中常次郎(あんなかつねじろう)といい、東京の本郷(ほんごう)で電気器具を造る安中電機製作所という会社を営んでいるとのことだった。そこに、懸案だったインダクションコイルの国産化を託そうというのだ。
 この三月、大阪で内国勧業博覧会というものが開かれ、国内のさまざまな製造業者が自社の製品を出展していた。
 それに目をつけた外波中佐が出展企業の一覧を手に入れ、電気に関する製品を出していた企業に連絡をつけた。そして長浦の事務所に呼び出して、無線用の部材を製作しないかと談判におよんだ。
 海軍では造らせた製品の試験結果はすべて知らせるし、見本が必要なら海軍から貸し渡し、勝手に分解してもよい、成功したら莫大な発注は疑いなしだ、と好条件を出したが、なにしろ最先端の機器であり、技術的にむずかしいものばかりなので、なかなか応ずる会社がなかった。
 そんな中で安中常次郎が、インダクションコイルを造ってみると申し出てきたのだ。
 安中常次郎は東京の工手学校電工科を出たのち、東京帝国大学の工科大学に助手として勤務した。そのとき無線電信を知り、将来性に気づいてその主要部品であるインダクションコイルを研究する気になり、三年ほど前に独立したという。
 話を聞くと発注先としてうってつけのようだが、いまの会社の規模をたずねると言葉を濁した。一応、工場らしきものはあるが、工員数は数名程度らしい。インダクションコイルの研究はしていても受注はまだなく、扇風機や電鈴、変圧器の部品など、注文があればなんでも造っているようだった。

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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