よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第五章 神は細部に(前)

岩井三四二Miyoji Iwai

   七

 一方、山本大尉は悩んでいた。
 三四式無線機が使えない無線機であることを暴き、軍令部まで巻き込んで改善命令を出させたものの、そのために逆に不安になってきた。
 あれほど性能の低い無線機ではとても使い物にならず、ロシアには対抗できない。すると海戦ではこちらが大いに不利となる。無線機の性能差で日本が負けてしまうのではないか。
 ここは大至急、無線の性能を向上させなければならないが、開発の中心となっている木村博士が、どうも頼りない。試験でさんざんな成績だったにもかかわらず、さほど落ち込んだようでもない。
 ――あの変人、へらへらしていて危機感がないんだよな。
 不満はそれだけではない。自分がここで何をしているのかといえば、試験所とは名ばかりの古い建物で油まみれになり、来る日も来る日も生産ラインの監視をしたり、機械の試験をしたりしている。本当にここは海軍か。
 何のために海軍に入ったのか。
 日本を守るために大きな軍艦に乗り、大海原へ出て敵艦隊を殲滅(せんめつ)するためではないか。
 こんなところでくすぶっていていいものか。
 ロシアとの開戦が迫っているというのに、冗談ではない。下手をすると、ここに縛り付けられたままで開戦になってしまう。早くここを出て、何でもいいから艦隊勤務にならなければ。
 とはいえ、性能のいい無線機は必要だ。少なくともロシアと同等の無線機がなければ、対等に戦うこともできないだろう。
 となれば、自分も立場上、少しでも無線機の性能向上につとめるべきだ。いまは艦隊勤務をのぞむより、そちらを優先しないとまずいだろう。
 考えた末に、コヒーラ管の改良に取り組むことにした。
 遣英艦隊でマルタ島の英国艦隊を訪問したとき、英国で使っているコヒーラ管をひとつ、見本としてもらっていた。それはすでに提出してあり、木村博士もそれを真似たものを作っていたのだが、満足のゆく性能が出ていないと聞いたからだ。
「うん、ぜひ頼むよ。あなたの目でよく観察して、コヒーラ管の秘密を解き明かしてくれたまえ」
 と木村博士はにこやかに言って、山本大尉にコヒーラ管を託した。
 どうやら博士はいまアンテナと送信機の改良に取り組んでいて、受信機のほうまで手が回らないようだ。というより、試験所としてやることが多すぎるのだろう。みなてんでに命じられたことに手を付けている、という状態なのである。
 博士を見ていると、アンテナをいくつも作っては首をひねっている。また別の日は、送信機についている放電球の試験を繰り返していた。

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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