よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第五章 神は細部に(前)

岩井三四二Miyoji Iwai

 山本大尉は遣英艦隊の艦上でアンテナを工夫した経験があるので、適任と思われたのだ。
 大きな櫓を組む時間はないので、気球でアンテナを吊(つ)り下げる方式である。
 駿吉は横須賀の吾妻山にいて、決めた時間に送信を開始した。
 一日目は駄目だった。送信しても大洗海岸からは何の反応もなかった。
「やはりまだ八十海里は無理か」
 外波中佐と肩を落としたが、試験は三日間の予定である。アンテナの張り方を少し変えて二日目にのぞんだ。しかしやはり反応なし。がっかりして三日目となった。
 午前中は、昨日とおなじく反応がなかった。午後も三時すぎになり、あきらめかけたときに突然、受信機が動き出した。試験所に詰めていたみなが色めき立つ。
「いや、まだわからんぞ。空電かもしれんし、どこかの艦からかもしれん」
 横須賀港に係留している艦が、訓練で無線を打つこともあるのだ。駿吉は印字機が吐きだした紙テープを引きちぎり、読んだ。
「ワレ オオアライ」
 とあるではないか。
「やった、八十海里だ!」
 外波中佐と手を取り合って喜んだ。とにかくひとつの目安を達成したのである。
 翌日、帰ってきた山本大尉に聞いてみると、
「いやあ、大変でした。水戸から新聞記者が大勢きているのに、初日はまったく受信できなくて泣きたくなりましたよ。そこで三日目に変えてみたんですよ」
 決め手は、アース(接地)だったという。
「アース? アースで変わったのか。本当か」
 駿吉はおどろいた。アースが無線の性能に関係があるとは、思いもしなかった。
 山本大尉は言う。
「ええ。はじめのうちは、気球から吊り下げた銅線の端を、百メートルばかり伸ばして地面に差し込んでいました。それが邪魔になったので、一メートルほどに短く切って気球のすぐ下に差し込んだのですよ。すると、それまでほとんど通じなかったのが、たちまち明瞭になりましてね。アースって、そんなに大切なものだったのですか」
「いやあ、正直、さほど重要だとは思っていなかった。本当にアースだけなのか?」
 念を押すと、大尉はむっとした顔になった。
「ほかもいろいろとやりましたよ。送信機や受信機を調整してね。でも、通じるようになったのは、アースを変えた直後です。これは間違いありません」
 駿吉は考え込んでしまった。これまでアースの重要性など考えたこともなかった。ただ、当初のマルコーニの図面上で、アンテナの端がアースされていたから、やっていたまでである。

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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