よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第五章 神は細部に(後)

岩井三四二Miyoji Iwai

   八

 七月半ば。
 ここまでの研究成果をもとに、駿吉(しゅんきち)は送受信機の設計図を一から引きなおした。
 アンテナは新開発の、四本の銅線を用いる四条線とした。
 インダクションコイルは安中電機製作所(あんなかでんきせいさくしょ)の、三十センチ火花と五十センチ火花のふたつを使うこととした。近距離には三十センチのものを、遠距離には五十センチを使う。ひとつが壊れても、もうひとつで最低限の通信はできるようにとの配慮である。信頼性と耐久性向上を、数をふやすことで乗り切ろうという知恵でもある。
 コヒーラ管は山本中尉が改良したものを使い、受信機側のリレーは優秀なジーメンス製。アースもアンテナ直下にとるようにした。
 これで通信距離は大きく伸びた。
 使い勝手にも気を配った。
 送信機では過剰な電流が流れないよう、コイルを入れたりスイッチを増やしたりした。
 受信機側では、送信機の影響を受けないよう機器を鉄の箱におさめてあったが、これを印籠蓋の真鍮(しんちゅう)張りの箱とし、蓋を閉じないと送信機が動かないようにした。これで受信機の誤作動がなくなっただけでなく、受信から送信に移るときに一動作でできるようになった。
 またリレーの調整も、三四式は二台を使っていて厄介なものだったが、ジーメンス製の一台にしたため容易となり、一度調整すれば狂うこともなくなった。
 艦上に張り渡すアンテナの絶縁物も、よく破損して苦情が多かったが、三個の盃状(さかずきじょう)のエボナイト碍子(がいし)をねじ込んで一本の碍子とするよう工夫した。これは外波(となみ)中佐の考案で、壊れても交換が容易となった。
 駿吉が新たに設計した無線機は、八月中旬に完成し、「新計画無線電信機」と名付けられた。明治三十六年に完成したので、先の三四式と区別して三六式とも呼ばれるようになった。
 この新設計の三六式無線機を、さっそく吾妻(あづま)山の試験所に据え付けて、ちょうど機関試験のため出航する巡洋艦「八雲(やくも)」と交信してみた。
 このときは八雲が横須賀港からさほど遠方へ行かなかったため、作動試験はできたものの、距離は十海里程度しか試せなかった。それでも三四式とはちがう感触があった。受信が明瞭なのだ。

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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