よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第六章 日露開戦(前)

岩井三四二Miyoji Iwai

   一

 明治三十七年二月七日午前七時四十五分。
 第二艦隊の旗艦、出雲(いずも)の受信機が動きはじめた。
「なにか起きたのか」
 伝声管から受信ありの一報を聞いた山本(やまもと)大尉は、胸騒ぎをおぼえながら無線室に降りていった。そして印字機が紙テープを吐き出すのを待った。
 参謀としては下っ端の山本大尉は、無線や旗信号など通信を担当していた。
 すでに前日、連合艦隊の旗艦三笠(みかさ)から全艦へあてて、無線は常に受信できるようにし、三笠以外はなるべく発信するなと訓令されていた。その上で初の電文である。
 電信担当の兵が紙テープ上にあらわれたモールス信号をカタカナになおしたものを、電信主任の士官が暗号書をめくりながら平文にしてゆく。
「どうした」
 首席参謀で作戦主任の佐藤(さとう)鐵太カ(てつたろう)中佐も無線室にきて、電文をのぞきこむ。
「……どうやら、あまりめでたい事態ではなさそうです」
 解読し終えた電文は、第三戦隊の巡洋艦千歳(ちとせ)から三笠への報告だった。駆逐艦の曙(あけぼの)が水雷母艦の日光丸(にっこうまる)と衝突し、曙が損傷したという。
「大事を前にして、たるんでいるな」
「ま、何十隻と出ているからな。そういうこともあるさ」
 佐藤中佐はそう言ってぽんと山本大尉の肩をたたいた。そう、たしかに何十隻と出ている。昨日、佐世保(させぼ)から連合艦隊のほぼ全艦が出港していた。
 これは演習ではない。
 前日の二月六日午後、日本はロシアに対して国交断絶を通告していた。
 もはやいつロシアと交戦におよんでもおかしくない状況であり、事実、この艦隊はロシア艦隊に開戦の一撃を加えるべく、遼東(りょうとう)半島の旅順(りょじゅん)にむかっているのだった。
 ほかに瓜生(うりう)少将ひきいる第四戦隊が別働隊となり、巡洋艦浅間(あさま)および水雷艇戦隊とともに陸軍運送船を護衛しつつ、朝鮮半島西岸の仁川(じんせん)にむかっていた。
 山本大尉が乗る出雲は排水量九千七百五十トン、艦首と艦尾の円筒形の砲塔に二十センチ砲各二門、両舷側に十五センチ砲七門ずつ計十四門をそなえる。乗員七百名ほどの巨大な艦である。

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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