よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第六章 日露開戦(後)

岩井三四二Miyoji Iwai

 やはり首都東京の近くで敵艦隊が遊弋(ゆうよく)しているという事実は重大で、無視できない。また敵が津軽海峡をとおるかどうかはいまだ不確実だ。どちらをとるにせよ、ふたつにひとつの賭けになる。ならばすでに南に向かって航行していることもあり、いまさら逆もどりして北へ向かうよりはこのまま行こう、という判断だった。
 しかしその判断は裏目に出た。上村艦隊は軍令部の指示にしたがって房総半島の布良(めら)望楼の近くまでゆき、水雷艇や通報艦を発して伊豆七島のあたりを捜索したが、そのときにはもう敵のウラジオ艦隊は、津軽海峡を通り抜けようとしていたのである。
 七月三十日、敵艦隊が津軽海峡を通過したのち、軍令部の指示で、上村艦隊はむなしく対馬の尾崎(おざき)湾にもどった。参謀たちが落胆したのはいうまでもない。
「まちがえたな。しかし相手が軍令部では文句も言えぬ」
 佐藤中佐はあきらめたように言うが、山本大尉は不満でいっぱいだった。
 敵艦隊が南に向かうとの軍令部の判断には、木村博士の敵無線傍受による報告が大きな影響を与えていたという。無線傍受の報告は敵の内情を知る唯一の手がかりだったから、軍令部も引っ張られたのだ。
 ――また余計なことをしやがって。
 その話を聞いた山本大尉は、無線には空電が多くあり、しばしばローマ字のつづりのごとき符号になること、それも夜間に多いことなどを他の参謀や上村中将に説明した上で、軍令部あての意見具申にも盛り込んだ。要するに木村博士の意見はあてにならぬと言いたかったのである。
 そののちもしばらく、木村博士への腹立ちをおさえられなかった。いずれ会ったら文句を言ってやろうと思っていた。
 なにしろ上村艦隊も追い詰められている。
 ウラジオ艦隊を逃しつづけたために世論の非難をあびた。
 自宅に投石までされた上村中将自身は、「うちの女房はしっかり者だから」といって落ち着いていたのだが、気性の激しさで知られる中将に接する参謀たちは、気が気ではない。
 そんな時期だからこそ、木村博士のいらぬ差し出口が余計に気にさわったのだ。
 八月四日に尾崎湾に帰着した上村艦隊は、七日に鬱陵島(うつりょうとう)付近を哨戒(しょうかい)、十日にまた尾崎湾にもどった。
 その十日、尾崎湾へもどる途中に軍令部から電文がきた。旅順港の敵艦隊が大挙出港したという。
「おお、やったな。これで仕留められるぞ」
 との声が参謀たちの中でもあがった。

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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