よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第六章 日露開戦(後)

岩井三四二Miyoji Iwai

 そのうちにリューリックが前を行く二艦からおくれはじめる。艦上に火災が起こり、黒煙におおわれて艦影が見えないほどになった。舵機(だき)も壊れたのか、左に曲がって艦列から脱落した。
 先行する二艦は、おくれたリューリックを救おうとしてもどってくる。そのたびに砲火をあび、二艦とも黒煙をあげ砲も沈黙していった。しかしロシアもグロモボイも四本の煙突は健在で速力は落ちず、高速で航行する能力は失っていない。艦底にある機関までは、砲弾も届かないのだ。
 午前五時半前にはじまった砲戦は延々とつづき、十時近くになって止んだ。
 出雲が砲弾を撃ち尽くしてしまったためである。
 上村長官はおおいに悔しがったが、どうにもならない。
 ロシア、グロモボイの二艦は逃がしたが、リューリックはほとんど動けなくなり、盛大に黒煙をあげながら、目の前をのろのろと航行している。艦首が沈み込み、船体は左傾していた。それでもまだ一門の砲がときどき発砲している。
 少し前から第四戦隊のちいさな巡洋艦二隻がかけつけ、リューリックを中心に円を描いて航行しつつ、砲撃を浴びせていた。十五センチ砲弾が命中するたびに、黒煙に包まれた艦体から赤い爆炎があがる。手負いの熊に襲いかかる猟犬二頭、といった光景だった。
 やがてリューリックの砲は完全に沈黙し、艦体は左舷へ大きくかたむいた。
 皿から豆をこぼすように、乗組員たちが海に飛び込んでゆくのが見える。
 数分後、艦体はとうとう横転して赤い腹を見せた。そして十時三十八分、艦尾を高くあげたかと思うと、周辺の海面に乗組員たちが浮かんでいる中、多くの気泡をたてながら海中に没していった。
 ――終わった。
 山本大尉はコンパス・ブリッジの中を見まわした。ほっとした空気はあるが、上村司令長官はじめ、だれも喜ぶようすはない。二隻を逃したのが響いているのだろう。
 だが圧勝にはちがいなかった。
 出雲には死者三名、重傷者三名が出たが、艦体はほぼ無傷といってよかった。後方に浮かぶ磐手以下の三隻も、損害は軽微なのが見てとれた。
 対してウラジオ艦隊は一隻が沈没、二隻は機関こそ無傷のようだが、砲の多くが沈黙し、大破の状態で逃げ去っていった。
 このちがいはどこから来たのだろうか。
 それは装備の差だ。科学技術の差だ。
 と山本大尉は自問自答した。
 沈んだリューリックは十年以上前にロシアで竣工(しゅんこう)した古い巡洋艦で、二本の煙突に帆走用の高い三本のマストをもつ。最高速力は十八ノットしか出ない。二十センチ砲四門をそなえる点は日本の巡洋艦とおなじだが、砲塔ではなく艦体側面の砲廓(ほうかく)に前後一門ずつ備えつけられており、一方向には二門しか向けられない。

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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