よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第六章 日露開戦(後)

岩井三四二Miyoji Iwai

 ロシアとグロモボイはリューリックより新しく、速力も二十ノット以上出たが、やはり砲塔はなく、四門の二十センチ主砲はリューリックとおなじように艦側の砲廓にあった。したがって艦隊が一列にならんで敵艦隊と併走しながら砲戦をすると、もっとも強力な二十センチ主砲は一隻あたり二門しか敵に向けられない。三隻で六門である。
 対して日本の第二戦隊は、出雲をはじめ四隻すべてが新鋭艦で、二十センチ砲を回転砲塔に積んでいた。
 左舷でも右舷でも砲塔を回せば照準でき、一隻あたり四門を敵に向けられた。四隻合わせて十六門の二十センチ砲でウラジオ艦隊を砲撃したのだ。
 六門対十六門では、はじめから勝負は見えている。
 しかもロシア側は砲弾の炸薬(さくやく)に昔ながらの綿火薬を使っていたのに、日本側は新兵器の下瀬火薬である。破壊力に大きな差があった。
 さらにいえば、無線の運用も日本側がすぐれていた。
 ロシア側も無線は使っていたが、艦同士の連絡に使う程度で、指揮命令系統に無線が生かされてはいなかった。そのためウラジオ艦隊は友軍が負けて旅順に引き返したのを知らず、無益な出撃をして、司令部と無線で連絡をとりつつ待ち構えていた日本の第二艦隊に捕捉されたのである。
 ――無線は役に立つ道具だが、単独で使うのでは限界がある。有線の電信と組み合わせて電信網を張り巡らさねば、真の力は発揮できないってことだ。
 山本大尉は胸の内でつぶやく。
 ロシアはまだ無線を使いこなしていないが、日本の電信網はおよそできあがっている。維新以来、営々と国内に電線を張りめぐらし、無線が発明されればすぐに取り入れ、軍艦と望楼に設置しつづけた努力が、いま実っているのだ。
 いまいましいことに、木村博士の顔が浮かんでくる。無線を発明したのは博士ではないが、日本が無線を有効に使えるようになったのは、木村博士がせっせと機器の改良にはげみ、開発だけでなく生産と据え付けまで引き受け、身を粉にして奮闘したおかげだ。
 ――人柄は感心せんが、はたらきぶりは認めざるをえんなあ。
 考えているうちに、海面に浮いている敵兵の救助を命じる声がとんだ。戦闘は終わったが、兵たちはまだ休めない。カッターを下ろす作業がはじまった。
 上村中将はコンパス・ブリッジから去り、他の司令部員たちも消えていった。山本大尉も日射しの強いブリッジから降りた。ぐずぐずしてはいられない。戦闘経過の報告書作り、後続艦への信号連絡、軍令部や東郷司令長官への打電と、やることは山ほどあった。

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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