よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第六章 日露開戦(後)

岩井三四二Miyoji Iwai

 駿吉は横須賀から持参したジーメンス製のリレーを取り出した。古い無線機は国産のリレーが付けてある。これを取り替えるだけで一気に感応度がよくなり、通信距離が大きく伸びるのを、これまで幾度も見てきた。
 ドライバーを手にし、交換作業をはじめた。手慣れた作業だから、三十分ほどで終わる。
「さて交信してみようか。高雄(たかお)に試験所のやつらが控えているから、まずはご挨拶だな」
 駿吉は送信機を操作して、短い電文を発信した。
 送信機は無事に動いているが、問題含みなのは受信機とおなじである。
 まず、電源がこころもとない。望楼は辺鄙(へんぴ)なところに建つので、電気を引いてくるのがむずかしい。そこで石油を使う発電機を設けたが、これがよく壊れるし、発電量も一定しない。それを補うためには蓄電池がほしいところだが、品不足で内地でさえなかなか配備できないでいる。ここにもまだ蓄電池はなく、外の小屋で発電機がうなっている。
 しばらく待っているとコヒーラが動きはじめ、つづいて印字機も動いた。
「それみろ、やっぱりリレーだったな。動いたぞ。どれどれ、ちゃんとした電文になっているかな」
 吐き出されてくる紙テープをある長さでちぎり、鉛筆を手にして、モールス信号を読み取って紙に文字を書き出す。
「ほほう」
 鉛筆をもったまま、駿吉は途中で読み取りを中断した。
「どうかしましたか」
「ああ。めでたい知らせが送られてきた」
 駿吉は電文を書いた紙を係官に渡した。
「きのう旅順が落ちたそうだ。ただのうわさじゃなくて大本営発表だそうだから、まちがいないだろう」
 送られてきた返信の冒頭に、挨拶もなくそうあったのだ。
「おお、ついに!」
 係官の顔がぱっと明るくなった。
「それじゃあいまごろ、本土じゃあ大騒ぎになっていますね!」
「だろうなあ。でも、まだ喜んでいる場合じゃないんだがな。バルチック艦隊がきたら、結局はやられるかもしれないからな。旅順攻略は、バルチック艦隊をやっつけるための手段であって、目的じゃない。世間がそこを勘違いしなきゃいいんだけど」
 駿吉の言葉に係官が鼻白んでいる。素直に喜べばいいじゃないか、と顔に出ている。
「でもまあ、めでたいにはちがいないな。祝っておくか」
 係官の顔色に頓着せず、駿吉はすっと立ち上がり、北東の方角を向いた。そして、
「万歳!」
 とひとこと吠(ほ)えた。そんな駿吉を、係官は目を瞠(みは)りながら無言で眺めているばかりだった。

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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