よみもの・連載

「タ」は夜明けの空を飛んだ

第七章 「タ」を連打せよ(前)

岩井三四二Miyoji Iwai

   一

 ここエジプトのポート・サイードは、さすがにアフリカの一角だけあって、一月なのにひどく暑い。日射しがあたる手の甲が痛いほどだ。
 街中には煉瓦(れんが)造りや石造りの低い建物が軒をつらね、白い衣服で体をおおった人々がゆっくりと歩いている。建物は汚れ、道端には砂がたまり、風が吹くたびに砂ぼこりが舞う。その光景はお世辞にもきれいとはいえない。
 外波(となみ)中佐は毎朝、ホテルからウォルムス商会のある港に近い石造りの建物まで、歩いて通っていた。
 ホテルからは五分ほどの距離だが、歩いている最中も左右に目を配り、尾行されないように毎日、とおる道を変えるなど、用心している。自分が来ていることがロシア側に知られているとは思えないが、ここが要地である以上、ロシア側も日本の動きを警戒はしているはずなのだ。
 ウォルムス商会に着くと支配人にあいさつし、一室にこもる。そこにはすでにその日にスエズ運河を通過予定の船のリストが届いていた。
 何も言わずとも、給仕の女性が紅茶をもってくる。それをひと口飲んでから、外波はそのリストの一行一行をなめるように読んでゆく。ロシアの船はもちろんあやしいが、リストにはほとんどあがってこない。要注意なのはフランスとドイツの船だ。
 しかし今日はあやしい船は見当たらなかった。みなインドのゴアや上海、あるいはアフリカ沿岸の港へ行こうとしていた。
「ミスタ・タナカ、客人です。お会いになりますか」
 汗をぬぐいつつ紅茶を飲み終わったところで、商会のボーイが顔を出してたずねる。
 ここで外波は日本郵船の社員、田中庫吉(たなかくらきち)ということになっている。服装も白いカッターに紺色のズボンと、一見して船会社の社員風にしているし、田中名義のパスポートももっていた。
 ウォルムス商会は、このポート・サイードで日本郵船の代理店をしている。郵船の船が入ってくると、船員の宿や荷の積み降ろしの手配、石炭と水の供給など、さまざまな世話をする契約になっていた。だから郵船社員の田中庫吉がここにいてもちっとも不思議ではない、という理屈になる。
「ここへ来るよう、言ってくれ」
 客の名前を聞いて、外波は返答した。
 部屋に入ってきた客は白人の中年男で、酒焼けなのか赤ら顔だった。にやにやしながら外波と握手し、椅子にすわると切り出した。
「とっておきの情報をもってきた。あんたが一番欲しがっているやつだ」

プロフィール

岩井三四二(いわい・みよじ) 1958年岐阜県生まれ。96年「一所懸命」でデビュー。同作品で第64回小説現代新人賞を受賞。98年「簒奪者」で第5回歴史群像大賞、2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞、04年「村を助くは誰ぞ」で第28回歴史文学賞、08年『清佑、ただいま在庄』で第14回中山義秀文学賞、14年『異国合戦 蒙古襲来異聞』で第4回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。他に『鹿王丸、翔ぶ』『あるじは信長』『むつかしきこと承り候 公事指南控帳』『絢爛たる奔流』『天命』『室町もののけ草紙』など著書多数。

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