太郎と信方は顔を見合わせ、首を捻った。 戻った岐秀禅師が抱えていたのは、碁盤と碁石である。それを己と太郎の間に置き、にっこりと笑う。 「太郎様、囲碁は御存知でありましたな」 「……はい。規則は存じておりますが、初心者程度の心得しかありませぬ」 「さようにござりまするか。では、太郎様に四隅の四子を差し上げますので、それで打ってみませぬか」 岐秀禅師は碁笥(ごけ)の蓋を開け、四つの黒石を摘み出し、星と呼ばれる碁盤の四隅に置いた。 囲碁において碁盤の四隅は非常に重要な場所であり、ここを制すれば対局がかなり有利となる。そのため、初心者と手練者(てだれもの)が打つ場合は、初心者に黒石を持たせて何子(なんし)かの置石を与え、手練者が最初から不利を背負った白番の先手で打ち始める。それを置碁(おきご)と呼ぶ。 囲碁は碁盤の上で地(じ)と呼ばれる広さを奪い合う競技であり、陣取り合戦にもなぞらえられ、この当時は武人の嗜(たしな)みとしてもてはやされた。 この囲碁を唐国から日の本に持ち帰ったのが、遣唐使に加わった吉備(きびの)真備(まきび)であり、それ以後は禅宗や法華宗をはじめとする僧侶によって定石や打ち方の手筋などが伝えられるようになった。 上流の武家は囲碁を好み、合戦の有様になぞらえ、幼少の頃から打ち方を教わることが多い。太郎も最初に覚えるべき規則や打ち方の基本となる定石などを習っていた。 本日の趣向は、太郎が黒石を持ち、最初から四隅に黒石の先兵が陣取る四子局の置碁とされた。 白番の岐秀禅師はそれを攻めながら不利を克服し、より多くの陣地を取らなければならない。 「では、始めましょう。よろしくお願いいたしまする」 岐秀禅師はうやうやしく頭を下げる。 「お願いいたしまする」 太郎も半信半疑ながら頭を下げた。 ――御老師は囲碁になぞらえて何かを伝えようとしておられる。相手の打ち筋を見ながら、それを汲み取らねばならぬ。 岐秀禅師は最初の白石を持ち上げ、石音も高く碁盤に打ち込む。桂馬の懸かりと呼ばれ、一隅に先着された黒石に攻めを仕掛ける一打であった。 それを見た信方が微かに眼を細める。 ――老師がいかなる意図で碁に誘ったのかはわからぬが、勝負である以上、太郎様が負けてはならぬ。しかも四子局だ。相手が相当の上手(うわて)だったとしても、まずは星の黒石を利用して隅に自陣を築けばよい。石の死活さえ見極めれば、全滅することはあるまい。せめて三つの隅、できれば四隅すべてを押さえれば、まず敗勢になることはなかろう。「四隅取られて碁を打つな」という格言もあるくらいだからな。 信方も碁を嗜み、すでに中級の腕前といってよかった。最初に囲碁を教わった父親とも、すでに互角以上の戦いができるようになっている。