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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志9 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「ああ、確かに、さような一節がありましたな。戦においては謀計(ぼうけい)を上策とし、城攻めは下策にあたるという意味でしたか」
「下策というよりも、城攻めとは他に有効な方途がない時、やむを得ず行う策という意味だと思うのだが」
「確かに。城の力攻めは味方の犠牲も払いますゆえ、敵を破るために使う最後の手段にござりまする。されど、城の攻囲戦は力攻めだけではなく、まずは敵を動けなくした上で様々な策を仕掛けるという意味もありまする」
「それもわかっているつもりだ。兵糧攻めにはじまり、離間(りかん)の計や誘降の策など、幾重もの謀を仕掛けるということであろう。されど、攻囲戦はわが軍勢の数が敵よりも遥かに勝っている時に有効なのではなかろうか。孫子の謀攻篇には『用兵の法、十なれば則(すなわ)ちこれを囲み、五なれば則ちこれを攻め、倍すれば則ちこれを分かち、 敵すれば則ち能(よ)くこれと戦い、少なければ則ち能くこれを逃れ、しからざれば則ち能くこれを避く。故に、小敵の堅(けん)は、大敵の擒(とりこ)なり』という一節もある。用兵の妙法においては、敵に十倍する兵力があれば包囲し、五倍ならば攻撃し、二倍であれば分断する策を弄し、 互角ならば全力を尽くして戦い、敵よりも少ない兵力しか持たなければ退却せよ、という訓戒なのだと思う。少勢が強がれば、多勢の捕虜になるということゆえ、われらが数に勝っておれば、孫子の言う通りになるはずなのだが、実際、海ノ口城にどれほどの兵がいるのかも知らぬ。まことに、このままでよいのかと不安になる……」
 晴信は顔をしかめて俯(うつむ)く。
 ――実戦経験のない若は、理をもって初陣の拠所(よりどころ)にしようとなさっている。その頼みの綱が、孫子の兵法か。されど、戦が理詰めで割り切れるものでないことも確か。
 信方は一抹の危うさを感じながら晴信を見る。
 経験のない者は頭で考えすぎるため、往々にして戦場で軆が動かなくなるからだ。
 ――若が理をもって戦と相対している以上、ひとつひとつ不安を解きほぐしていくしかあるまい。されど、少しの淀みもなく孫子の教えを口にされているところを見れば、すべての説を覚えておられるというのも、あながち誇張ではないのやもしれぬ。
 半ば感心する気持ちもあった。
「ならば、若、こういたしましょう。伊賀守(いがのかみ)の処(ところ)へ行き、敵城の様子を訊きまする」
「跡部(あとべ)殿に?」
「あの者は武田の物見頭(ものみがしら)にござりまする。ここにきて、手をこまぬいているわけはありますまい。御屋形様の御下命を受け、敵城の内実を探るべく者どもを動かしておるはず。直に、様子を訊ねてみましょう」
 信方の言った伊賀守とは、物見頭を務める跡部信秋(のぶあき)のことであり、今年で齢三十六となる後輩だった。
「なるほど……」
「さっそく参りましょう」
 二人は跡部信秋の陣へ向かった。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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