「そなたと母上のために城を造っておるゆえ、楽しみにしておれ。諏訪湖が一望できる、素晴らしい城だ」 「はい」 「では、これから三人で諏訪の社へ詣でた後、高島の桜でも見に行くか。この陽気ならば、そろそろ綻(ほころ)び始める頃であろう」 頼重の言葉に、於麻亜は嬉しそうに笑いながら頷く。 三人は上下の諏訪大社に参詣してから、諏訪湖畔の桜を見物し、親子水入らずの時を過ごす。 輝く湖面を見ながら、頼重は奥歯を嚙みしめる。 ――武田からの嫁など、人質と思えばよい。爺様はさように申された。くれぐれも、情に流されるなという戒めであろう。今は辛抱の時だ。必ず武田信虎の呪縛から逃れ、いずれ武田と比肩できるように諏訪の一統を強くせねばならぬ。この於麻亜のためにも。 娘を抱き上げ、諏訪湖に浮いているような高島城を見上げた。 この年春から天文八年(一五三九)の冬まで修築は続いた。 そして、十一月に悲報がもたらされる。 背中の癰が悪化し、破れた後に衰弱した諏訪頼満がそのまま息を引き取った。孫と一統のために村上義清との盟約を遺し、享年六十七の生涯を閉じたのである。 頼重は喪に服した後、遺言に従い、天文九年(一五四〇)正月明けに於太の方と於麻亜を高島城へ移らせた。 その頃、武田信虎から思いもしなかった一報が届けられる。 春先、武田の軍勢が海ノ口城を足掛かりとして佐久郡へ攻め入るので、諏訪家も援護せよという通達だった。 武田晴信が初陣で討ち取った平賀玄心は、村上義清を後盾とし、本貫の地としていた佐久郡から大井家を追いやっていた。 大井家は信濃守護職の小笠原家の血脈に繋がり、宗家が守護代を務める名門だったが、村上の兵力を借りた平賀玄心に宗家が滅ぼされ、一門は離合集散を繰り返していた。 信虎はまず平賀の残党を掃討し、その後に大井家の一門を制覇するつもりだった。それで佐久の全域まで勢力を拡げ、村上義清を交渉の席に着かせようという目論見のようである。 ――おそらく、村上との盟約がうまく進まず、信虎が痺(しび)れを切らしたのであろう。 頼重はそのように見ていた。 ――ここは武田に与力をする振りをし、佐久での状況を静観するに限る。決して矢面には立つまい。 諏訪頼重はそう決意し、新たな局面を注視していた。