連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)10 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 家宰の荻原昌勝は齢(よわい)七十九になっており、ここ数年、軆の不調を訴えていることを、信方も知っていた。当人としては息子に家宰の座を譲り、隠居したがっていたが、荻原虎重(とらしげ)がまだ若輩なために家中の承認が得られそうにない。
 また家宰の座を狙っている宿老も多く、荻原昌勝が隠居となれば穏便に済むとは思えなかった。
 そして、もうひとつ、晴信の弟、次郎の元服も迫っている。それが家宰の交代と無縁なはずがなく、家中の動揺を増幅させることは火を見るよりも明らかだった。
 しかし、今年の正月も、皐月の端午(たんご)にも、次郎の元服は行われなかった。
 五月五日の端午は五節句のひとつであり、武門では尚武の節句ともいわれ、男子の猛々しい成長を祈願するため、この日に元服の儀を行うことも多かった。 
 ――今年で齢十五となられる次郎様は、てっきり端午に元服なさると思うていた。されど、それが先送りされたことを鑑みれば、御屋形様が次郎様のために周到な初陣をご用意なされているということやもしれぬ。そう考えれば、こたびの佐久出兵は前捌(まえさば)きともとれる。常陸殿の不調と次郎様の初陣が絡み、またぞろ、くだらぬ話が再燃せねばよいが……。
 信方の心配は、次郎の元服と初陣に際し、またぞろ信虎(のぶとら)に長男の廃嫡をけしかるような重臣が出てくるかもしれないということだった。
 ――初陣での戦働きを見て、若に対する見方を変えた者たちがいるとはいえ、まだまだ予断を許さぬ。肝心の御屋形様が未だ幼名で呼び続けるなど、示しのつかぬ扱いをなされるから勘違いする輩が出てくる。そういった意味では、僻見(へきけん)のない虎昌のような者は貴重な味方となって動いてくれるやもしれぬ。うぅむ……。
 腕組みをしながら信方が唸る。
 ─やはり、甘利とは一度、肚を割って話し合うてみるべきかもしれぬ。とにかく、虎昌が首尾良く戦を終わらせて戻るのを待つしかなさそうだ。
 そう思いながら、役目へと戻った。
 しかし、信方の願いとは裏腹に、飯富虎昌の出陣直後、新府へ悪い知らせが届く。
 平賀城へ侵攻するため、虎昌が海ノ口(うんのくち)城に入った途端、すぐ目前にあった海尻(うみじり)城に詰めていた村上方の軍勢が立ちはだかったのである。
 昨年の小競り合いの結果を見た村上義清は、密かに海尻城へ援軍を送り、武田家の侵攻に備えていたようだ。
 兵糧も少なく、兵の士気も上がらない飯富虎昌の一軍は立往生してしまい、荻原昌勝と信方に助けを求めてきた。
 その一報を受け、急遽、躑躅ヶ崎館で軍評定が開かれる。
 不機嫌そうに大上座についた信虎の顔色を窺ってから、家宰の荻原昌勝が口を開く。現状を説明してから、飯富虎昌の陳情について述べた。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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