連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)16 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 一同は無言で頭を下げ、評定の場には重苦しい空気だけが残った。
 それには大きな理由がある。
 本来ならば、この評定において感状が渡され、今回の戦での武功と褒賞が発表されるはずであった。
 ただでさえ俸禄(ほうろく)が滞り、戦に使う兵粮(ひょうろう)も自前で持ち出していたため、将たちの不満は膨らみきっている。それを宥(なだ)めるために、今回の合戦における褒賞は、いつもの倍になると通達されていた。
 しかし、褒賞の内容が発表される気配は微塵(みじん)もなかった。
 それもそのはずで、確かに海野平合戦は勝利に終わったが、実際には戦勝の実が取れていない。確かに、小諸までは武田家の覇権が及んだが、大きな城を得たわけでもなく、新たな年貢を確保したわけでもなかった。
 武田勢は海野幸義を討ち取るために、それなりの犠牲を払っていたが、村上義清(よしきよ)は誘降の策を仕掛けて難なく砥石(といし)城と松尾(まつお)城を奪取し、大きな実利を得ている。実際は小県の分配などに話は及んでおらず、勝利に見合う戦果が取れた合戦ではなかったということである。 
 家臣たちはそのことをわかっており、側近の者ですら不平不満を口にするようになっていた。
 駒井(こまい)信為(のぶため)が青木信種に耳打ちする。
「……いかにも家宰の職についたが如き振舞をするならば、昌遠殿にはきちんと褒賞の話をしていただきたいものだ」 
「まったくもって」
「まったく昌遠殿は御屋形様の御顔色を窺(うかが)うことだけには長けておる。されど、それだけでは、到底、家中に渦巻く不満を押さえることなどできますまいて」
 駒井信為は皮肉たっぷりの言葉を囁(ささや)く。
「家宰の仕事を甘くみておるのであろうて」
 青木信種が吐き捨てるように呟いた。
「取り急ぎ、われらも会合を開いた方がよいかもしれぬ」
「その際に何とか甘利(あまり)を引き込めぬだろうか」
「確かに、それは重要かもしれぬ。それがしから声をかけてみましょう」
 駒井信為の言葉に、青木信種が頷きながら大広間を出ていった。
 他の者たちも評定の場を去って行く中、思い詰めた面持ちの信繁が、晴信に近づいてくる。
「……兄上」
 声をかけられた晴信が振り向く。
 その様子を、少し離れた処(ところ)から信方と甘利虎泰(とらやす)がそれとなく見ていた。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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