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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)22 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「まことにござりまする。それに、青木殿は本気で手仕舞いなさる気とお見受けいたしました。このまま戦支度をして人を集めますれば謀叛(むほん)とも見なされかねず、ぎりぎりで思い留まったのでありましょう」
「信じられぬな。やはり罠であろう」
「いいえ、それがしに明言なされましたが……」
「直前になって腰が引けたか。それならばそれでよいが、われらは決して戦支度を解かぬぞ。何か事が起こってから支度したのでは間に合わぬからな。青木殿の一派が武装すれば謀叛と見なされるが、土屋殿から武川(むかわ)衆を預かっている、それがしが戦支度をしたとしても咎(とが)められはせぬ。われらは御屋形(おやかた)様から留守を託されたも同然だからな」
「いや、やめておいた方が良いかと」
「何を申すか、跡部。うぬの知ったことではないわ」
「戦支度などしたままでは、何か良くないことが起こりそうな気がいたしまする」
「臆病者めが」
「臆しているのではなく、家中の理に照らして飯田殿に申し上げておりまする。悪いことが起きる前に、戦支度を解かれませ」
「うるさい!そなたに言われて腰を引くほど軟弱ではないわ。われらは戦支度を解かぬと決めたのだ!」
「……さようにござりまするか」
「うぬは訊かれたことだけに答えておればよい。余計な差出口(さしでぐち)を挟むな!」
 飯田虎春が一喝する。
「されど……」
 跡部信秋が項垂(うなだ)れた。
 その時、室の外から騒然とした物音が響いてくる。
 人が言い争うような声と遠慮のない跫音(あしおと)のようだ。
「騒々しい。いったい何事か!」
 飯田虎春が立ち上がり、乱暴に襖(ふすま)を開ける。
「ここを誰の屋敷と心得るか!」
 勢いよく廊下に出た虎春が、なぜか立ち竦む。
「……晴信……様?」
 視線の先には、狩装束に太刀を佩(は)いた晴信と信方がいた。
「飯田虎春、及び武川衆……」
 信方が先頭に立って口火を切る。
「そなたを戦支度による騒擾(そうじょう)の咎で詮議しにきた」
「……な、何を申されるか」
 飯田虎春の視界に、兄に寄り添う信繁と甘利虎泰(とらやす)の姿までが飛び込んでくる。
「えっ……。信繁様まで」
「ほら、申したさきから、悪いことが起きたではありませぬか」
 室内にいた跡部信秋が呟(つぶや)く。
「おのれ、跡部……」
 睨みつける飯田虎春を意に介さず、跡部信秋が信方に声をかける。
「駿河守(するがのかみ)殿、飯田殿とこちらの一派の方々は、決して戦支度は解かぬと申されました。それがしから青木殿の一派が矛を収めて解散なされたと説得申し上げましたが、お聞き入れいただけませなんだ。余計な差出口を挟むな、とも」
 その言葉を聞き、飯田虎春が仰天し、室内にいた武川衆の者たちも顔を見合わせる。
「……跡部、裏切ったな」
「飯田殿、裏切ったとは、これまた人聞きの悪い。それがしは元々、晴信様の命により双方の寄合を検分していただけ。ただし、青木殿の寄合で何が話されているかを知りたいと申された飯田には約束を守り、すべて隠し立てなくお伝えいたしました。その上で、戦支度などしたままでは、何か良くないことが起こりそうな気がいたしまするとご説得したつもりにござりまする。されど、お耳を貸していただけず、まことに残念」
 跡部信秋が飄々(ひょうひょう)とした口調で嘯(うそぶ)く。
「お、おのれ、たばかりよって……」
 歯嚙みしながら、飯田虎春が信方に向き直る。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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