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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)22 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 こうして無血のままに移譲が行われ、天文(てんぶん)十年(一五四一)六月下旬、晴信は齢二十一にして武田家の惣領となった。
 そして、この月の晦日(つごもり)を迎える頃、駿府から今川義元の名代として太原雪斎と岡部久綱が駆け付けた。
「遠路旁々(かたがた)、ご苦労様にござりまする。ようこそ、甲斐の新府へおいでになられました」
 躑躅ヶ崎館の門前まで迎えに出た信方に、太原雪斎は笑顔で答える。
「お久しゅうござりまする、板垣殿。いつぞやは、火急にて失礼をばいたしました。とは申せど、最後にお会いしてから、さして時も経っておりませぬか……」
「どうぞ、こちらへ。わが主君がお待ちになっておりまする」
 信方は二人を大広間へと案内する。
「お会いできる日を心待ちにしておりました」
 太原雪斎は満面の笑みを浮かべた。
 ――さっそく、自ら若を値踏みにまいったか。抜け目のない漢だ。されど、雪斎殿の助力がなければ、こたびのことが為しえなかったというのも事実であろう。どこまで読みが当たっていたのか、計り知れぬ。とにかく敵に回したくない漢であることに間違いはない。
 そう思いながら、信方は二人を拝謁の席まで導いた。
「今しばらくお待ちくだされ。ただいま、主君をお呼びいたしまする」
「かたじけのうござりまする」
 雪斎は小さく頭を下げる。
 大広間には序列を改めた武田家の重臣が並んでいた。
 そして、上座の筆頭に、信方が座る。
 ――どの顔も一筋縄ではいかぬという面構え。これが晴信殿の下でまとまった面々か。
 それとなく様子を窺ってから、太原雪斎は姿勢を整えた。
 間もなく、新たに近習頭となった教来石(きょうらいし)信房(のぶふさ)を先頭に晴信が現れる。
「御屋形様の御成りにござりまする」
 その声を合図に、重臣たちは一斉に平伏する。
 太原雪斎と岡部久綱もそれに合わせて平伏した。
 晴信は大上座につき、背筋を伸ばす。
「今川家の御使者、面(おもて)をお上げくだされ」
「有り難き仕合わせにござりまする」
 二人が顔を上げる。
 ――ほう、これはまた不思議なる気配の御方。涼やかなる目元に凡庸ではない聡明さが滲(にじ)み出ておる。まるで値踏みしようとしたこちらを見透かすような眼差しだ。これは、まいった……。
 雪斎は晴信を見て、そのように感じた。 
「皆も楽にせよ」
 晴信に促された重臣たちも顔を上げた。
 それを確認し、雪斎が口上を述べ始める。 
「本日は武田晴信様の御尊顔を拝見する機会をいただきまして、まことに恐悦の至りにござりまする。お初にお目にかかりまする、太原雪斎と申しまする。以後、お見知りおきのほど、よろしくお願い申し上げまする」
 二人の使者は、再び両手をついて深々と頭を下げる。
「このたびの御代替わり、まことに御目出度うござりまする。わが主君、今川治部大輔(じぶのたゆう)、義元になりかわりまして、御祝い申し上げまする。これは些少(さしょう)にござりますが、当家よりの御祝いの品にござりまする。どうぞ、お収めくださりませ」
 雪斎は目録を差し出す。
「失礼いたしまする」
 近習頭の教来石信房が目録を受け取り、晴信に献上した。
 形式通り、それを開き、目を通してから晴信が礼を述べる。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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