よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)5

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 だが、武田家の力を借りて復帰を目論んだ金刺昌春は、享禄(きょうろく)四年(一五三一)に飯富道悦(どうえつ)らが信虎に反乱を起こした時の合戦で討死してしまった。
 それでも、武田家と諏訪家の戦いは、天文(てんぶん)四年(一五三五)の和睦に至るまで続けられた。
 諏訪大社を巡る抗争で得をした者は、ほとんどいなかったが、わずかな例外もある。
 古(いにしえ)より上伊那郡高遠の地は上社領であったが、金刺昌春が甲斐へ落ち延びた頃から、高遠継宗が支配するようになった。
 高遠家は南の中沢(なかざわ)から北の辰野辺(たつのべ)までの上伊那郡を領有し、近隣の国人衆をまとめる。その勢力は継宗から子の満継へと渡され、現在の当主、高遠頼継に受け継がれた。
 そして、高遠継宗の願いは、いつか高遠家が諏訪一門の惣領になることだった。
 父の満継はそれを果たせなかったが、高遠頼継は本気で祖父の夢を叶(かな)えようとしていた。
「まずは、いかような手を使うてでも、頼重を惣領の座から引き摺(ず)り下ろさねばならぬ。あの者に諏訪領内を統一するほどの力はない。それは先日の内紛でも明らかだ」
「まったくもって」
「しかも間に入ってもらった箕輪殿に礼のひとつもない。いったい何様のつもりであるか」
「信濃守殿、あの一件で、それがしも踏ん切りがつきました。もう、頼重に期待することは何もありませぬ」
 少し前に藤澤頼親が諏訪頼重を見限る事件が起きた。
 昨年末から上社への徴税を巡り、西四郷の一族衆と諏訪頼重が睨(にら)み合い、争乱になりかけていた。
 見かねた藤澤頼親が調停に入り、西四郷の地頭(じとう)たちを説得し、何とか争いになる前に事態を収拾したのである。
 それにも拘(かかわ)らず、諏訪頼重は藤澤家に礼の品ひとつ送らなかった。当然のことながら、因縁の深い小笠原の軍勢が諏訪へ入ることも事前に伝えていない。
 藤澤頼親は一連の態度を見て、諏訪頼重に従うことを止めようと決心した。
「それゆえ、堯存の懐柔はお任せくだされ。かの者をうまく使い、武田との話し合いの道筋をつけましょう」
「それは有り難い。この身が話すよりも、箕輪殿が誘うてくれた方がよい。金刺とは色々あるゆえ」
「承知いたした。その間、信濃守殿は上伊那の一揆衆をまとめてくだされ」
「わかった。武田が諏訪に攻め入るならば、われらが与力して下社を押さえ、頼重の退路を断つという策を持ちかけたならば、必ず乗ってくるはずだ」
 高遠頼継は確信に近い予感を抱いていた。
 上伊那で着々と謀議が進められる中、弥生(三月)の晦日(みそか)が終わり、暦は卯月(四月)に変わろうとしていた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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