第三章 出師挫折(すいしざせつ)7
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
その隣で、今度は原虎胤が首を傾げる。
「されど、加賀守殿はあまりこういう酒席に顔を出しませぬな。一人でおられることも多い。なにゆえであろうか」
「昌俊はあまり酒が強くない」
信方が答える。
「それに、酒を吞んで、くだを巻く奴が好きではないからな」
そう言いながら、横目で虎胤を見る。
「ぐっ……」
さすがの鬼柄者(おにがらもの)も口をへの字に曲げて黙り込んだ。
それを見て、信方がしてやったりとほくそ笑む。
甘利虎泰と飯富虎昌も笑いを嚙み殺している。
「それはそうと、こたびの総攻めでは、われらの下の者たちの戦働きを期待したい」
信方が話の矛先を変える。
「下の者たちとは?」
甘利虎泰が訊く。
「若に近い三十路以下の者たち、駒井(こまい)昌頼(まさより)、三枝(さえぐさ)虎吉(とらよし)、小山田(おやまだ)信有(のぶあり)などだ」
「なるほど。確かに、各代に一人でも武辺者(ぶへんもの)が出てくれば、その者を中心に隊を編制すればよい。少し前線で踏ん張らせてみてはどうでしょう」
「そうだな。われらが補佐に回り、うまく導いてやろう。鬼美濃、少し辛抱して見守ってやれるか?」
「それがしは前に突っ走るだけの猪(いのしし)武者ではありませぬ。後進の育成ということならば、多少歯痒(はがゆ)くても我慢しますわい」
原虎胤が仏頂面で答える。
「さようか。そうと決まれば、昌俊も入れて布陣を工夫してみよう」
信方の言葉に、三人も頷いた。
その頃、晴信は母に諏訪攻めの事前報告をしていた。
大井の方は黙って話を聞いている。武門の女として、出陣前の息子に不安を悟られまいとしていた。
――母上は気丈に振る舞われているが、やはり動揺が隠し切れておらぬ。やはり、禰々のことが心配なのであろう……。
説明を続けながら、晴信はそう思っていた。
信繁も同じことを感じたようで何か言いたそうにしている。
「……という訳で、われらは数日後に新府を出立いたしまする。信繁、そなたから何か言いたいことはないか?」
晴信は弟に話す機会を渡す。
「はい、有り難うござりまする。母上、禰々たちは兄上とそれがしで必ず甲斐へ連れ帰りますので、どうか御心配召されずに」
「……わかりました。どうか、お二人もご無事で。御武運をお祈りしておりまする」
大井の方は多くを聞き返さなかった。
兄弟の決意がしっかりと伝わっていたからである。
こうして新府を中心に甲斐で慌ただしく戦支度が進められ、六月二十四日の早朝に御旗楯無(みはたたてなし)の前で戦勝祈願が行われた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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