よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)10

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「それとも、代替わりしたばかりの当家が小笠原に打ち破られると思い、負けるとは露ほどもお考えにならなかったと?」
「そ、それは……」
「人の上に立たれる御方は、その決断ひとつひとつに重き責任がついて廻(まわ)りまする。だから、物事を決断する時に、最良の結果と最悪の結果を想像できなければならないのではありませぬか。諏訪家が小笠原と手を組んだ時に最悪の結末を迎えると、このような事態になるとは思いませなんだか?」
「……」
「開城の時に打首となさらなかったことが、御屋形様の最大の恩情でありましょう。まだ、こうしてお命があり、御自身の不始末を御自身の決断で贖(あがな)う機会が残っておりますゆえ」
「……余が……余がここで朽ち果てるまで、この幽閉が続くということか」
「そうなるやもしれませぬ」
「な、なんということだ……」
 諏訪頼重は両手で顔を覆い、肩を震わせる。 
 原昌俊は感情を排した瞳で、その姿を見ていた。
「……この罪を……償う方法はあるのか?」
 頼重が弱々しい声で訊く。
「武士としての面目を立て、潔く償うならば、御自害しかありませぬ」
「……じがい?……自害……それしかないのか」
「残念ながら」
「……なんとか赦免してもらえるよう、晴信殿にとりなしてもらえぬか?」
「致しかねまする」
「そこをなんとか……。頼む」
「残念ながら」
「なにゆえ、なにゆえ、かようなことに……」
「ゆっくりとお考えくだされ」
 そう言い残し、原昌俊は立ち上がる。
 蠟燭(ろうそく)の火を吹き消してから、扉を叩いて合図を送り、鍵を開けさせた。
「……様子は……いかがにござりまするか?」
 加藤信邦が恐る恐る訊く。
「まだ未練を断ち切れぬようだ。あと四、五日、このままで様子を見る。話をしたいと申しても、取り合わなくてよい」
「わかりました」
「おそらく、何日か荒れるかもしれぬが放っておけ。静かになった頃、また様子を見にくる」
「承知いたしました」
 加藤信邦にも大方の事情はわかっているようだった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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