よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)20

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「何だ、それは。もしも、相手が拒否したならば、出家するより、もっと御屋形様が傷つくではないか」
 信方が怒ったように言い捨てる。
「まあ、さように怒るな、信方。菅助が申したのは、二人を無理に引き離すのではなく、御屋形様の気持ちを殺さずに済む御膳立てができる策も、あり得るということだ。違うか、菅助」
「加賀守(かがのかみ)殿の申された通りにござりまする。かような乱世においては討ち滅ぼした敵の正室を力尽くで側室にすることなど日常茶飯事にござりまする。されど、御屋形様はそのようなことを望まれますまい。ならば、われらが姑息な策を弄し、御屋形様が御自身の気持ちを解き放てるよう、綺麗に御膳立てするだけのこと。結果はわかりませぬが、この身は御屋形様の器量を信じておりまする。毒を薬にできるほどの聡明さと、何より相手の心を打つ真面目さがあると」
「そこは、それがしも同感する。この策の良し悪しは、別としてな。されど、われらでは禰津家への養子の策など、到底考えつかなかったことは確かだ」
 原昌俊が賛同した。 
「うぅむ、結局は若の御器量に任せるしかないのか……」
 信方が唸(うな)る。
「御屋形様の御側に置く威儀だけは糺(ただ)し、もしも相手が受け入れられないというのならば、母子を南海道(なんかいどう)の尼寺へでも出家させればよいのではありませぬか」
 跡部信秋が折衷の案を付け加える。
「わかった。皆がさように申すならば、まずは若があの娘を御側に置きたいと望まれるかどうかを確かめねばならぬ。その役目は、それがしに任せてくれぬか」
 信方が話をまとめる。
「もちろん異論はない」
 原昌俊の答えに合わせ、二人も大きく頷(うなず)いた。
「ところで菅助、そなたはこの策をいつ思いついた?」
 俯(うつむ)き加減だった信方が顔を上げる。
「先ほど戸の陰で皆様方のお話を聞きながら考えておりました」
 その返答を聞き、再び信方と原昌俊が顔を見合わせる。
「まことに、この場での思いつきなのか?」
「……はい、申し訳ござりませぬ。もしも、この身も皆様と同じ席にいたならば、いかように献策したであろうかと真剣に考えました」
「さようか。されど、思いつきにしては妙策であった」
「お褒めにあずかり、恐悦至極にござりまする」
「確かに、えげつない策ではあるが、理に適(かな)っていた」
「それがしはかような形貌ゆえ、皆様と同じようにまともなことを申しても聞き入れていただけませぬ。それゆえ、常に他の方とは違う策を捻(ひね)り出す癖がついてしまいました。そうすると当然のことながら、毒を含んだひねくれた策に辿(たど)りついてしまいまする。それを納得していただくにはまず、それなりの理というものが必要となりまする。盗人にも一分の理があるならば、毒々しい策にも多少の理はあるということで」
「されど、そなたがただの悪者になってしまうこともあるぞ」
「それでも、御屋形様のお役に立てるならば本望かと。汚れ役にはうってつけの柄ゆえ、喜んでお引き受けいたしまする」
 菅助は頭を搔(か)きながら笑った。

 

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number