よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)23

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 藤乃は数名の侍女(まかたち)を連れ、新府から駆け付けており、晴信に女人装束の講話を施した。その上で若い娘を麻亜に見立て、着裳の手順を教える。
 裳とは、女人の装束に下衣(したのきぬ)をつけ、腰から後方に飾襞(かざりひだ)を垂らしたものを指す。
 平安朝の頃、正装である十二単(ひとえ)においては、裳の腰とよばれる紐帯(ひもおび)を後ろから前に回し、裾を後方に垂らす引腰(ひきごし)が女装の美しさを表すものとされた。
 後に装束が簡素になり、両脇に短い頒幅(あがちの)といわれる部分を付け、十幅(との)仕立ての裳裾となり、さらにそれが八幅(やの)仕立てに縮められる。
 そして、当世の裳は、古式の十幅や八幅仕立ての頒幅さえなく、袿(うちき)に丈の短い懸帯を肩から吊るしかける形式となった。
 この懸帯(かけおび)を結んでやるのが、腰結役の務めである。
 禰津元直が娘となった麻亜のために上等な装束を誂(あつら)えてやり、着裳の儀が行われた。
 稽古のおかげもあり、晴信は滞りなく腰結の役目を終える。思いを寄せる娘の懸帯を結ぶことに対し、特別の緊張と昂揚はあったが、それを気取られないように終始、平静を装い通した。
 この夜はごく内輪での宴席が設けられ、麻亜の成人が祝われた。
 翌日の夕刻、後見人となった晴信への礼として、禰津元直が晩餐の席を用意してくれる。その場には麻亜の姿もあり、側へ侍(はべ)る前に懇親の機会を得たいということらしい。
 ところが、豪華な膳は二つ並べられただけで、禰津元直は挨拶も早々に他の侍女を伴って退席する。
 室には晴信と麻亜だけが残され、何とも居ずまいの悪い空気だけが残った。
 ――皆と夕餉(ゆうげ)を供にするものだと思うていたのに、これはいったいなんなのだ?……元直殿は気を使うてくれたつもりかもしれぬが、かえって決まりが悪い。まいったな……。
 晴信は顰面(しかみづら)で途方に暮れていた。
 ――いざ、こうなってみると、何を話してよいやら、まったくわからぬ……。
 その気配を察したのか、麻亜が両手をついて頭を下げる。
「昨日は、かような身のために後見を務めていただきまして、まことに有り難うござりました」
 淀(よど)みない口調だった。
 だが、どこか、よそよそしさが感じられる。何度も稽古させられた口上のように聞こえたからだ。
「……いや、さほど大層なことをしたつもりはないゆえ……」
 晴信は当惑を隠せない。
「……とにかく、頭を……面(おもて)を上げてくれ」
「はい」
 麻亜がすっと背筋を伸ばしてから訊く。
「御酒をお召し上がりになりませぬか?」
「あ、ああ……そうだな」
 晴信の返答を聞き、麻亜が瓶子(へいじ)を持ち上げ、傍らへ躙(にじ)り寄る。
 それも淀みない所作だったが、やはり稽古によって作られたように見えた。
 しかも瓶子を持つ指先が微(かす)かに震えている。
 晴信はそれを見逃さなかった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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