よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)23

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「ところで、晴信殿。先日の塩尻出兵は実にお見事な手際でありましたな。当家の武将たちも感心しきり、そなたの手腕を褒め称(たた)えておりました。おかげさまで御前崎(おまえざき)の塩も信濃で守られることになり、援軍のお誘いをいただいたことに深く感謝しておりまする」
「いや、こちらこそ、義元殿の迅速な御決断に、心より感謝しておりまする」
「今さらながら、雪斎が武田家と盟を結びたがった理由を思い知りました」
 義元は笑顔で檜扇(ひおうぎ)を開く。
 晴信もつられて、ぎこちない笑みを浮かべる。
 険しい面持ちの武将を想像していただけに、晴信には相手の印象が意外だった。
 どちらかといえば、義元は武将というよりも貴人のような風貌に見え、物腰も極めて上品である。
 その鷹揚(おうよう)な様を見ながら、晴信もだいぶ緊張が解けてきた。
「さて、本日は酒宴の用意などもしてあるので、たっぷり両家の親交を深めたいと思うておるのだが、その前に御足労願った理由を話しておかねばなりますまい」
 義元がすっと真顔に戻る。
 晴信も背筋を伸ばし、相手の顔を見つめた。
「そなたもすでにご存じのことと思うが、当方はこの河東の地にて北条家と諍(いさか)いになっておる。この大石寺から南に四里半(約十八`)ほど離れた吉原というところに城があり、北条氏康の叔父、長綱がそこを守っている。われらはその鼻先に兵を繰り出し、様子を窺(うかご)うておるところ。確かに河東は因縁の地ではあるが、今の当家にとっては取るに足らぬ所領にすぎず、おそらく武田家の力を借りずとも取り返すことができまする。では、なにゆえ、わざわざそこに出張り、そなたの与力(よりき)を願ったかという話をせねばなりますまい。われらが河東で北条との戦に踏み切ったのは、余が断れぬ御方々からの嘆願があったからにござる」
 義元は言葉を切り、晴信の顔を見つめる。
「義元殿が頼みを断れない御方……。それは坂東(ばんどう)の御仁(ごじん)にござりまするか?」
「お察しの通り」
「ならば……下総(しもうさ)の古河公方(こがくぼう)、足利(あしかが)晴氏(はるうじ)様。あるいは、関東管領職の山内上杉(やまのうちうえすぎ)憲政(のりまさ)殿ぐらいしか思いつきませぬが」
「ご名答にござる。こたびの出陣は、その御二方からのたっての願いにござる。そうした義理立てがなければ、われらもわざわざ東に兵を向けたりはしませぬ」
「なるほど。つまり、河東というよりも、むしろ坂東での北条家の動きと関係した出陣であると」
「さよう。いま北条家は武蔵でやりたい放題の振舞をしており、元々の守護職である扇谷(おうぎがやつ)上杉家が江戸城と岩付(いわつき)城を奪われ、あろうことか本拠の河越城も失陥してしもうた。そこで扇谷上杉朝定(ともさだ)が反目していたはずの山内上杉憲政殿に『同族の誼(よしみ)で助けてほしい』と泣きつき、武蔵での北条の傍若無人ぶりを重く見た関東管領職が重い腰を上げたという次第にござる」
 義元は河東への出兵の裏にある事情を明解に語りきる。
「されど、古河公方の晴氏様は、確か北条氏綱の息女を娶(めと)っていたのではありませぬか?」
 晴信は己の記憶にあった事柄を疑問としてぶつける。
「その通り。だが、その縁組にも裏があり申した」
 義元は坂東における公方家と北条の関わりを語り始めた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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