よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)25

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「御屋形(おやかた)様にひとつお訊ねいたしとうござりまする」
「何でも訊いてくれ、備前(びぜん)」
「御屋形様は関東管領が北条の城を力攻めにし、武蔵から駆逐するとお考えなのでありましょうか?」
「そこを正確に読むのは難しいが、今のところ坂東勢は河越(かわごえ)城を力攻めにするつもりはないと見ている。もしも、力攻めにするならば、城を囲んだ刹那が最も好機であったろう。されど、それをしなかったということは、河越城の兵を人質と見立て、北条家の惣領に命乞いの土下座をさせるつもりなのではないか」
「されど、三千そこそこの城兵に対し、八万の寄手ならば、一気に城を落とした方が早いのではありませぬか」
「そうも考えられるが、八万の大軍といえども、采配一閃で動く一枚岩の軍勢ではないのであろう。所詮、寄せ集めに過ぎず、力攻めをするとなれば、誰かの手勢が犠牲にならなければならぬ。関東管領が率先して犠牲を払うとは思えず、勝手に采配を振られても、扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)の軍勢が城攻めの先陣を切るとは思えぬ」
「うぅむ、なるほど。確かに」
 甘利虎泰が唸(うな)る。
「八万の大軍が采配一閃で動けるのならば、われらが河東へ出張った時に河越城を攻め落としているはずだ。いや、後の戦いを有利に運ぶつもりならば、そうすべきであった。交渉など受け付けずに北条方の城を落とし続け、そのまま相模(さがみ)の小田原城まで攻め寄せればよい。おそらく、半月を待たずに決着がつくであろう。八万の大軍が一気呵成(かせい)に攻めてきたならば、北条が生き残るには武蔵と相模のすべてを捨て、伊豆(いず)まで撤退するしかない。だが、河越城攻めの兆しすら見えなかったということは、関東管領が交渉によって北条家の降伏を引き出し、この戦を無傷で終わらせたいと考えているからではないか。そのように、読むべきであろう。では、降伏の条件をいかなるものにするか。加賀守(かがのかみ)、そなたが関東管領の立場ならば、いかように考えるか?」
 晴信は扇の先を向け、原(はら)昌俊(まさとし)を指名する。
「僭越(せんえつ)ながら、それがしが上杉憲政殿ならば、北条家は武蔵と相模の城をすべて明け渡し、氏康(うじやす)殿は伊豆の韮山(にらやま)で蟄居(ちっきょ)せよ、という条件になりましょうか。元々、相模も扇谷上杉の領国であり、小田原城を残してやる必要もありませぬ。氏康殿が河越城の義弟を救いたいと考えているのならば、武蔵からの撤退は当然として、小田原城まで差し出せるかどうかを問うことになりましょう」
「余と同じ意見か。されど、氏康殿にそこまでの譲歩ができるであろうか」
「身内や家臣を救いたいのならば、その条件を吞むしかありますまい。されど、それらの者たちを見殺しにしてまで小田原城を死守しようとしても、戦いが始まれば勝つ見込みは、ほとんどありませぬ。せいぜい、箱根の天嶮(てんけん)に潜み、野伏紛(のぶせりまが)いの戦い方で相手を疲弊させることぐらいしかできますまい。ならば、氏康殿としては兵力を温存し、いったん伊豆へ引き籠もり、初代の早雲(そううん)殿がそうであったように今川家の盟友として捲土重来(けんどちょうらい)の機を待つというのが妥当ではありませぬか。いかに、関東管領の軍勢といえども、簡単に箱根を越えることはできず、伊豆までは追ってきますまい」
 原昌俊は冷たいと思えるほど平静な口調で言い切った。
「的を射た見解だな、加賀守。あるとしても、小田原城を残せるか、残せぬか、そんなぎりぎりの折衝になるという見立てだな」
 二人の会話を聞き逃すまいと、他の者は息を詰め、やり取りを見つめていた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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