よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 主殿で式三献が行われた後、一同は会所に移り、ここで節饗(せちあえ)の本膳が振る舞われる。
 本膳の料理は式三献、雑煮、本膳、二の膳、三の膳、硯蓋(すずりぶた)からなっているが、ここでの式三献は盃事ではなく、「打ち、勝ち、喜ぶ」を表す「一の打鮑(うちあわび)、二の勝栗(かちぐり)、三の昆布」という順に縁起物を食べていくのである。
 いわば、家長と一族の者が揃って正月を祝う団欒(だんらん)であり、晴信はあえて車座になることを選んだ。
 太郎は父と叔父の信繁の間に座ることを許され、昂奮を隠せない。やっと、一人前の漢と認められたような心地だった。
「立派だったぞ、太郎」
 信繁が柔和な笑みを浮かべて誉(ほ)める。
「ありがとうござりまする、おじうえ」
 太郎も照れくさそうに笑う。
「本年は孫六の元服だが、そなたの元服が早まることもあろう。こうした儀に慣れておくがよい」
 晴信は太郎の頭に手をやる。
「はい、父上」
「孫六、元服の予行をしておくか?」
 晴信が己の盃を差し出す。
 元服の儀における式三献は屠蘇ではなく、本物の酒で行われるからである。
「ありがたき仕合わせ」
 少し歳(とし)の離れた弟、孫六(後の信廉〈のぶかど〉)が流盃を受け取る。
 晴信がそれに三献と同じ要領で酒を注いでやった。
「頂戴いたしまする」
 孫六が三度に分けて盃を干す。
 その様を、太郎が羨ましそうに見つめている。
 孫六は晴信や信繁と同じく大井の方の子であったが、今年で齢十五になったばかりである。端午(たんご)の節句を迎える頃には、元服の儀を行う予定だった。
「あと数年もすれば、今度は三郎が長柄役をやってくれるであろう。なあ、信繁」
 晴信は籠の中で寝かされている乳飲み子を示す。
「はい。親莫迦(おやばか)ながら、今から楽しみにござりまする」
 信繁は恥ずかしそうに笑う。
 この弟は二年前に於藤(おふじ)という正室を娶(めと)り、一昨年前に初子が誕生した。その男子が三郎(さぶろう)と名付けられた。
 本来ならば、信繁と同じ幼名の次郎(じろう)と名付けられるところだが、晴信に次男が誕生するかもしれないと考え、信繁はあえて三郎と命名したのである。兄を心から敬愛する弟ならではの気配りだった。
 皆が揃った節饗は和やかに進み、何よりも三条の方をはじめとする女人たちが喜んでいた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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