よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 晴信は久方ぶりに家族と三が日を過ごすと決め、なるべく太郎のために時を費やすよう努める。一緒に書き初めを行い、初射礼(はつじゃらい)のために弓箭(きゅうせん)の稽古をした。
「太郎、そなた、ずいぶんと弓の腕前を上げたな」
 晴信は的を射る息子を見ながら感心する。
「虎昌(とらまさ)殿に射技の勘所(かんどころ)を教わり、それに従い稽古を続けておりまする」
 太郎は傅役(もりやく)、飯富(おぶ)虎昌の名を上げた。
「ああ、飯富か。あの者は確かに弓が上手い。どのくらいの頻度で稽古をしているのだ?」
「虎昌殿の出陣などがなければ、五日に一度、稽古をつけていただいておりまする。されど、空弓を引く鍛練は毎晩続けておりまする。虎昌殿によれば、的を絞るためには素早く大きく弦を引き、弓手をぶれさせないことが肝要。つまり、膂力(りょりょく)を鍛えることが射技の勘所と教わりましたので、百本の空弓を引いておりまする」
「なるほど、理に適(かな)っておる。他にも武技を習うているのか?」
「はい、槍と剣術の稽古もつけてもらっておりまする」
「さようか……」
 晴信は顎をまさぐりながら思案する。
「では、打包(たんぽ)槍を持ってまいれ。稽古をつけてやろう」
 打包槍とは、尖端(せんたん)の槍穂を外して綿の入った布玉を付けた稽古用の二間(にけん)槍である。
「まことにござりまするか!?」
 太郎は嬉しそうに眼を輝かせる。
「うむ。存分に相手をしてやろうぞ」
 晴信は笑顔で答えた。 
 太郎が打包槍を用意し、二人はまず型の打ち込みから始める。晴信は息子の上達度を確認しながら、攻撃と防御の要諦を説明してやった。
 互いに上気して肌脱ぎになるほど打ち込みを行った後、次は実戦稽古に移り、槍の攻防を繰り返した。
「よし、ここまでとしよう。なかなか果敢な打ち込みであった」
 額に浮かんだ汗を拭いながら、晴信が稽古の終了を告げる。
「はい。ありがとうござりまする、父上」
 太郎も手巾で汗を拭いながら頭を下げた。
「……父上、ひとつ、お願いがござりまする」
「なんであるか?」
「兵法の修学について、お教えいただきたい事柄がござりまする」
「孫子(そんし)か?」
「はい」
「よかろう。少し休んでから書斎で話をしよう」
「わかりました」
 二人は一息ついてから、書斎に籠もって兵法の話を続けた。
 己の師でもあった岐秀(ぎしゅう)元伯(げんぱく)から講話を受けているだけあり、息子の修学は晴信が驚くほど進んでいた。どうやら、太郎はそのことを父にわかってもらいたかったらしい。
 晴信は日がな一日太郎と過ごすことで、嫡男として成長しようとしている意欲も実感できた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number