よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 そして、四日の朝に新府を出立し、諏訪(すわ)へ向かう。
 上原(うえはら)城で諏訪大社の者たちが催す「歳首(さいしゅ)の椀飯振舞(おうばんぶるまい)」に立ち会うためだった。
 歳首の椀飯とは、源(みなもとの)頼朝(よりとも)が鎌倉幕府を打ち立てた後、年始に重臣たちが輪番で将軍に祝膳を奉ることを起源としているが、当世では武門の家臣たちが新年に惣領をもてなす重要な儀式となっていた。
 今回は諏訪大社の上社(かみしゃ)と下社(しもしゃ)の重鎮たちが勢揃いし、改めて武田家惣領に忠誠の心を示すという意味がある。
 上原城に到着すると、諏訪郡代の信方(のぶかた)と神長官(じんちょうかん)の守矢(もりや)頼真(よりざね)が出迎え、上社と下社で初詣を行う。両社からは晴信に太刀、名馬、破魔(はま)弓矢が献上された。
 初詣を済ませてから、上社の会所で盛大な饗応が始まった。
 まずは仕来(しきた)りに従い、椀飯と打鮑、海月(くらげ)、梅干の三品に酢と塩を添え、これらが縁起物として折敷に載せて出される。さらに、晴信の前で神人(じにん)が生鯉(なまごい)を料理する「御庖丁」が披露され、うちみ(刺身)として献上された。
 一通りの儀式が終わると本膳が運び込まれ、酒宴が始まった。
 晴信の前に、次々と諏訪大社の重鎮たちが挨拶に訪れ、流盃を求める。歳首の椀飯は大いに盛り上がり、滞りなく終わった
 その後で、晴信は改めて信方と酒を酌み交わす。
「若、新年早々の出張、御苦労様にござりまする」
 傅役の一献を受けながら、晴信が呟く。
「諏訪の者たちの気配が、どこか少し変わったように思えたのだが……」
「確かに、変わりました。若のおかげにござりまする」
「余の?」
「さようにござりまする。諏訪の者たちは、昨年末の今川(いまがわ)家と北条(ほうじょう)家の和睦を見事に調停した若の手腕に感服したのでありましょう。加えて、今川勢を塩尻(しおじり)まで呼び込み、素早く小笠原(おがさわら)を撃退したことにも驚いておりました。しかも、若は三国の御惣領の中で最もお若い。武田家が諏訪に安寧をもたらしてくれると信じ始めたのではありませぬか」
「そうだといいのだが」
「今では上社と下社の諍(いさか)いもなくなり、当家の下で結束し始めておりまする。これまではかようなことはなかったと、守矢殿も申しておりました。それがこたびの歳首椀飯にも現れていたのでありましょう」
「さようか。ならば、来たかいもあった」
 安堵したような面持ちで、晴信は盃を干す。
「新府での三が日はいかがでありましたか?」
「久方ぶりに、日がな一日太郎と過ごした。これまで忙しさにかまけ、なかなか構うてやれなかったが、一緒に居て成長ぶりがよくわかった。正直、武技の稽古や兵法の修学の進捗には眼を見張った。親がなくても子は育つというのは、まことのことだな」
「それは羨ましゅうござりまする。わが愚息は相変わらず、ぴりっといたしませぬ。まったく、若の二つ下で、偏諱(へんき)までいただいたとは思えぬ幼さにござりまする」
「信憲(のぶのり)も諏訪へ来てからは、だいぶ変わったと聞いているが?」
「確かに、少しは役目に前向きにはなってきましたが、それでも物足りませぬ。まあ、その分、吉景(よしかげ)が傅役として踏ん張ってくれておりますが」
「ああ、あの頑固者、曲淵(まがりぶち)か。なんというか、当家はそなたといい、備前守(びぜんのかみ)といい、傅役が優秀なのだな。飯富も太郎にしっかりと武骨な性根を叩(たた)き込んでくれている。有り難いことだ」
「お誉めに与り、光栄にござりまする」
 信方は褒美とばかりに盃を呷(あお)る。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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