第四章 万死一生(ばんしいっしょう)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「若、実はお伝えしておかねばならぬことがありまする」
「……なんであるか、急に改まって」
「禰津(ねづ)殿から内々の相談を持ちかけられまして、せっかく養女として御側(おそば)に出したのに一度のお目通りがあっただけなのは、なにゆえかと。加えて、あの娘の母、於太(おだい)から『何か粗相があったのならば、何なりとお聞かせくだされば、本人に言い聞かせますので』と泣きつかれまして。……駿河(するが)での戦へ向かわれ、お忙しいからだ、とは言っておきましたが」
「……さようか」
晴信は顔を曇らせ、微かに俯(うつむ)く。
「何か、ありましたか?」
「いや、望み通り、話はできた」
「話をしたら、お気持ちが冷めてしまったとか?」
「そんなことはない。駿河の件に気持ちが向き、それどころではなかっただけだ。……ただ、間が空きすぎて、何となく気まずい」
互いの誤解が解け、晴信は麻亜(まあ)とかえって会いにくくなった。
そのことを、信方には詳しく話していない。
「義父や母に対しての気詰まりもあり、当人も鬱(ふさ)ぎ込んでいるらしいので、若さえよろしければ、夕餉の相伴ぐらいは許してやってもよろしいのでは?」
「……そうかもしれぬ。元々、余が望んだことだからな」
「それは、皆が喜ぶでありましょう」
「されど、禰津へは行かぬ。できれば、この城で会いたい」
「承知いたしました。では、それがしが責任を持って手配りいたしまする」
信方は笑みを浮かべて答えた。
「そなたに任せる」
晴信はぶっきらぼうに答える。
さっそく翌日の夕刻に二人が節饗の膳を囲めるよう、信方が手配りをした。
上原城の居室に本膳が設えられ、小袿(こうちぎ)で正装した麻亜が晴信を待った。
そこへ向かう間、不安と期待が綯(な)い交(ま)ぜになり、晴信も緊張を隠せない。少し前を小走りで進む近習頭(きんじゅうがしら)の教来石(きょうらいし)信房(のぶふさ)も背中に気配の強ばりを感じていた。
居室の前で跪(ひざまず)き、信房は室内に声をかける。
「御屋形様の御成りにござりまする」
それから、音もなく襖(ふすま)を引いた。
「待たせて、すまぬ」
晴信は大股で室内へ入る。
その背後で、教来石信房が静かに襖を閉めた。
室内には二人が隣合うように本膳が並べられている。
晴信は押し黙ったまま、麻亜の隣に腰を下ろした。
麻亜は両手をつき、頭を下げたままだった。まるで全身が緊張の繭(まゆ)で覆われているようである。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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