第四章 万死一生(ばんしいっしょう)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
何とも気まずい沈黙だけが、室の中を支配していた。
――いかぬ。……こちらから話しかけてやらねば。
「……年が変わってから、会うのは初めてであったか」
晴信は腰から扇を抜き、独言(ひとりごと)のように呟く。
「……少し遅くなったが、改めて、新年明けましておめでとう」
「明けましておめでとうござりまする」
両手をついたまま、麻亜は眼を伏せている。
「……息災のようで、なによりだ。ええと、目出度い席で堅苦しいのは苦手だ。本日は、無礼講といたそう」
そう言ってから、晴信は顔を強ばらせる。
――何を言ってしまったのだ、この身は!?……無礼講、つい口から出てしまった。漢同士の酒宴でもあるまいに……。
素頓狂な己の物言いに、恥ずかしさで耳朶(みみたぶ)が火照る。
「……はい、よろしくお願いいたしまする」
麻亜もかぼそい声で答えた。
それから、再び沈黙が続いてしまう。
「……ああ、すまぬ。忘れていた。……面(おもて)を上げ、楽にしてくれ」
晴信は頭を搔きながら言う。
「……はい。それでは、御言葉に甘えまして」
麻亜は背筋を伸ばす。それでも、眼を伏せたままで晴信の方を見ようとはしない。
困り果てた晴信は何か会話の糸口を摑(つか)もうと膳の上を見回す。
すると、二人の間に置かれた屠蘇器が眼に止まる。
「おお、せっかくの祝膳だ。式三献をやろう」
晴信の言葉に、麻亜が小首を傾げる。
「……しきさんごん?」
「さよう。三献三盃の九度で屠蘇をいただく祝いの儀だ。……ああ、そうか。裳着(もぎ)の時には、やっていなかったか。ちょうどよい。そこの屠蘇器をこれへ」
晴信は麻亜の方に向き直って正座する。
その前に、屠蘇器が据えられた。
「さあ、一番上の小さな盃を」
「えっ、わたくしが」
麻亜は戸惑いの色を浮かべる。
「さようだ。年始の式三献は幼長の順で行われ、家長が自ら長柄役を務めるのが決まりだ。さ、盃を」
「あ、はい……」
麻亜は両手でうやうやしく小盃を取る。
「三献で注ぐゆえ、三口で呑むがよい。初めの二口は小さく、三口めで干す」
「はい」
「では、今年も息災で」
晴信は長柄銚子から三献で屠蘇を注ぐ。
「……有り難き仕合わせにござりまする」
麻亜は教えられた通り、三口で盃を干した。それを中盃、大盃と続ける。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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