第四章 万死一生(ばんしいっしょう)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「されど、それだけではありませぬ。麻亜も楽しゅうござりました。もう少し、ご一緒しとうござりまする」
「やれやれ……」
晴信は再び胡座(あぐら)をかき、麻亜を見る。
「……そなたは律義な性分なのだな。されど、漢と女人が一緒に閨へ入るというのは、役目や仕事ではないのだ。これから互いの気持ちが通じるようになれば、自然と一緒にいられるようになるであろう」
「……わかっておりまする」
麻亜は瞳を潤ませ、言葉を続ける。
「されど、正直に申し上げまする。……義父上様や母のことは、言訳に過ぎませぬ。つい口に出てしまった方便にござりまする。……本当は最初にお会いしてから、こうして再びお会いできるまでに、これほど時を要するとは思うておらず、その間……その間、麻亜は寂しゅうござりました。……鬱ぎ込んでいたのは、御屋形様に嫌われたのではないかと思うていたからにござりまする。もう、お会いできぬのかと……」
「まことか?」
驚きの表情で訊いた晴信に、麻亜は無言で深く頷いた。
「……そんな風には思うていなかった」
「昨年、最後のお話をした時、御屋形様がわたくしを大事に思っていてくださることがよくわかりました。それなのに、この身は何も応えることができず、身勝手な振舞をしました。御屋形様も戦に出られ、風のようにお消えになってしまった後、やっと自分の寂しさに気づき、再びお会いできるのを心待ちにしておりましたのに……。年が押し詰まっても諏訪へのお越しはなく、わたくしはまた捨てられたのではないかと思いました」
ついに堪えきれず、麻亜は泪(なみだ)を滴らせる。
「わかった。……わかったから、それ以上言うのは止せ」
「いいえ、聞いてくださりませ。そんな思いで沈んでいたところに、本日お会いできると知らされ、嬉しいような……怖いような気持ちで参りました。もしかすると、お叱りを受けるのではないかとも思いましたが、御屋形様は前回と変わらず、とてもお優しく、粗忽(そこつ)なわたくしを大事に扱うてくれました。話をするだけで楽しいと仰せになられました。その言葉に嘘偽りなく、寝所へ戻られるとも。されど、わたくしは先ほどから思うておりました。心から御屋形様の御側にいたいと……。どうすれば、至らぬわたくしを御側に置いていただけるのでありましょうか?」
潤んだ瞳に、先ほどまでにはなかった強い光が宿っている。
――まいったな……。ゆっくり時をかけて打ち解けられればよいと考えいたため、ここまでの気持ちを受け止める心構えをまったくしていなかった……。
晴信は思わず天井を仰ぐ。
それから、大きく息を吐いた。
視線の先には、紫水晶のような瞳から大粒の泪を零(こぼ)す麻亜がいる。
それを見た途端、肋骨が収縮するような痛みを感じ、晴信の胸中で思いが弾けた。思わず麻亜に駆け寄って肩を抱き、背中をさすってやる。
「……わかったから、もう哭(な)くな」
晴信の腕の中で、麻亜はしばらく軆(からだ)を震わせていた。
「余も、そなたが側にいてほしい」
「……まことにござりまするか」
「ああ、嘘偽りなく」
「御側に置いていただけるのならば、麻亜も一生懸命、お仕えしとうござりまする」
「焦らずともよいから、時を重ねていこう。そなたが望んでくれるならば、できるだけ側にいてもらいたい」
晴信の言葉を聞き、麻亜は大きく頷いた。
それからしばらく、二人は黙って互いの温もりを確かめていた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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