よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 晴信はこの日からしばらく諏訪に滞在し、周囲の現況を探りながら己なりに今後の方針を思案することにした。
 日中は執務に没頭し、夕餉の時刻から翌日の朝餉までを麻亜と過ごす。ゆっくりと時を重ねることにより、互いの信頼は深まり、二人は自然に結ばれた。
 ――己から惚れた女人(にょにん)と過ごせるというのは、これほどまでに幸福なことなのか……。
 それが正直な思いだった。
 もちろん、三条(さんじょう)の方に対して後ろめたさがないわけではなかった。
 だが、麻亜と過ごす高揚感が遥かにそれを凌駕(りょうが)してしまい、もはや己の気持ちを止めることができない。結局、評定始めが行われる前日まで十日間も諏訪に留まってしまった。
 明けて十五日の午後、躑躅ヶ崎(つつじがさき)館の大広間に重臣たちが勢揃いし、御前評定が開かれた。
 その冒頭で、晴信は敢然と決意を述べる。 
「本年を皮切りにし、あと数年は、わが一門にとって試練の時となるであろう。諏訪と上伊那を制したことに甘んじて守勢に回れば、敵どもは手を組み、必ずや牙を剥いてくる。加えて、坂東(ばんどう)の情勢も予断を許さぬ。北条家が撤退すれば、勢いに乗った関東管領の軍勢が碓氷(うすい)峠を越え、攻めてくるやもしれぬ。さすれば、信濃(しなんお)の敵もそれに同調するであろう。その前に諏訪を固め、佐久、小県、松本平へ打って出ることが肝要だ。しかれども、いったん戦いを始めれば、われらが信濃を制するか、あるいは滅ぶまで戦(いくさ)は終わらぬ。ならば、いっそ覚悟を決め、信濃全土を武田家の領国とするまで勝ち続けるしかない。余は今年、その第一歩を踏み出すと決めた。皆にも心してもらいたい」
「御意!」
 一同は揃って声を上げた。
「では、評定を始めよう。ますは、伊賀守。そなたから佐久と松本平の現況について報告してくれ」
「承知いたしました」
 跡部信秋(のぶあき)が諜知した事柄について報告を始める。
 一同は真剣な面持ちでそれに聞き入っていた。
 続けて、晴信は原(はら)虎胤(とらたね)に上伊那の現況と下伊那の諜知について報告させた。
「次に昌頼、そなたから北条家の様子を報告してくれ」
 その命を受け、駒井昌頼が報告を始める。
「それでは、ご報告させていただきまする。さすがにかような状況ゆえ、相模へ行くことはできませなんだが、北条家の桑原(くわはら)盛正(もりまさ)殿と幾度か早馬で書状をやり取りいたしました。そこから垣間見えてきましたのは、氏康(うじやす)殿がなんとしても義弟の綱成(つなしげ)殿の命を救おうとしているということにござりまする。そのために粘り強く交渉を続け、何とか和睦に持ち込みたいとお考えのようにござりまする。されど、和睦に関する先方の条件が相当に厳しく、苦慮なされておるのではないかと」
「ならば、武蔵からの撤退では済まぬということか?」
 晴信が訊く。
「河越(かわごえ)城と江戸城の明け渡しに加え、武蔵からの撤退という条件は退けられたゆにござりまする」
「ならば、関東管領の条件は小田原(おだわら)城までの明け渡しか?」
「桑原殿は明らかな回答を避けてきましたが、どうやら、そのようにござりまする」
「義弟の命を助け、小田原城だけは残してくれという交渉を続けるつもりか。今の兵力差では、かなり厳しかろうな」
 晴信は顔をしかめながら呟く。
「河越城もあと二ヵ月(ふたつき)は保(も)つまい。ともあれ、和睦が成立したとしても、捕虜の解放や城の明け渡しと分配まで含めれば、さらに二ヵ月は関東管領も坂東に釘付けになるであろう。つまり、われらの好機は田植え前までということになる。下伊那はしばらく捨て置き、まずは佐久を完全に制せねばならぬ。その上で隙あらば、小県あるいは松本平まで兵を押し出す。卯月(四月)の上旬辺りまでに入念な支度をし、一気に打って出るぞ。それでよいか?」
「御意!」
 一同が揃って晴信の念押しに答える。
 当面の方針が定まり、評定始めが終わった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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