第四章 万死一生(ばんしいっしょう)3
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「常磐殿、今後ともこうして話を続け、若と御方様を支えていこう」
信方はぎこちない笑顔を作る。
「過分なお気遣い、痛み入りまする。それでは、失礼いたしまする」
三条の方の侍女頭は礼を述べ、去って行った。
信方は大きく息をつく。
――少しばかり偽りも交ぜてしまったが、大筋はまことの話だ。常磐殿も何とか納得してくれたか?
同時に、女人の勘の良さと、どこから仕入れてくるのかわからない話の確度に驚いていた。
――若を見ていればわかるが、おそらく、あの娘には本気なのであろう。されど、決して女人にかまけているだけではなく、評定始めを見ても、若の心気はこれまでになく充実しておられる。この後、諏訪から北信濃へ出て行くにあたり、あの麻亜(まあ)という娘は若にとって大事な存在となるであろう。さりとて、これ以上の御執心が続くようであれば、筋は立てねばなるまい。万が一、このままで懐妊でもすれば、無用な騒ぎになってしまう。その前に、正式な側室として迎えるべきであろう。それに若があまりにも入れ込みすぎ、御政務さえも見えなくなるようであれば、この身が諌言(かんげん)せねばなるまい。
信方は密かに決心した。
しかし、傅役(もりやく)の心配に反し、晴信(はるのぶ)は精力的に新府と諏訪を往来しながら仕事を進める。内政を中心にして足場を固めながら、着々と北信濃侵攻に向けての準備を整えた。その集中力は信方も眼を見張るほどであり、主君の充実を認めざるを得なかった。
そして、麻亜と過ごす時間は、確かに晴信の鋭気の源となっているようだった。
三月に入り、竜王鼻(りゅうおうび)で治水を行っていた山本(やまもと)菅助(かんすけ)が報告にやって来る。この事業は内政の中で晴信が最も力を入れていたものだった。
「御屋形様、白根(しらね)と竜岡(たつおか)の将棋頭(しょうぎがしら)が完成いたしました」
その第一声に、晴信は身を乗り出し、瞳を輝かせる。
「まことか!」
「はい。水涸(みずが)れが続く冬場しか作業ができませぬゆえ、一気に積み上げを行うしかないと判断いたしました。市之丞(いちのじょう)殿をはじめとし、白根と竜岡の村人たちの踏ん張りもあり、なんとか完遂に至っておりまする。この二つの将棋頭の働きにより、おそらく御勅使川(みだいがわ)と割羽沢川(わっぱざわがわ)の流れを大きく変え、ひいては釜無川(かまなしがわ/富士川)への流入を抑制できるのではと存じまする」
山本菅助が言った将棋頭とは、圭角(けいかく)の石積みによって築く堤防のことだが、尖端(せんたん)の形状が将棋駒の頭部に似ていることから、その名が付けられた。
この将棋頭を竜王鼻の西側にある竜岡という中洲に築くことで、御勅使川の流れを二分することができる。さらに御勅使川と割羽沢川が合流する北側の中洲にも、もうひとつの将棋頭を置くことで二つ目の分流を作り出すことができるのである。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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