第四章 万死一生(ばんしいっしょう)3
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「若、だいせいぎゅう、とは?」
「大聖牛(おおひじりうし)ともいうが、洪水を弱めるために川岸に並べる道具のことだ。丸太を三角の形に組み上げるのだが、それが水牛の如き形をしており、ちょうど水面に近い上の部分は角のように見える。だから、唐国では河を鎮める聖牛と呼ばれた。その中でも一番を大きいものを大聖牛という。これを竜王鼻の下流に並べ、釜無川から盆地へ溢れる水を最小限にしてしまおうという策だ。大雨で水が溢れるのは、さすがに止めようがない。ならば、流れを変えて氾濫を少なくし、逆に農作の用水にしてしまえばよかろう。そのために、大聖牛を沈める」
「なるほど……」
信方は大きく頷いた。
「ただいま木を切り出し、急ぎ大聖牛の組み上げを進めておりまする。なんとか五月雨(さみだれ)の候(おり)には間に合うのではないかと」
菅助が今後の見通しを述べる。
「わかった。急ぎながらも皆に怪我のなきよう、慎重に進めてくれ」
「御意!」
「思うていた以上の進展だ」
晴信は笑顔を見せる。
白根と竜岡の将棋頭。御勅使川と釜無川の霞堤。そして、大聖牛の配置。
それらが後の世に「信玄堤」、甲州流治水法として讃(たた)えられる事業の始まりだった。
しかし、今はまだ、そのことを知る由もなく、晴信は己が望んだ内政の進展を素直に喜んでいた。
「御屋形様、畏(おそ)れながら申し上げたきことがござりまする」
「何であるか、菅助」
「市之丞殿をはじめとする竜王の石工衆のことにござりまする。あの者たちの技能は実に優れており、只者(ただもの)ではありませぬ。こたびは将棋頭と霞堤の石積みを任せましたが、石に対する目利きもでき、手際よく積んでくれました。それだけではなく、栗石(ぐりいし)を詰める勘所が常人のものではありませぬ」
「ぐりいし?」
「はい。栗の石と書き、ぐりいしと呼びまする。石工の間では石積みの要諦を『一ぐり、二石、三に積み』と申すそうで、最初に栗石を詰めることで、積み石が動かないように固定し、中を通る水の流れを制するのだとか。つまり、石積みで最も肝心なことは、栗石をしっかり詰め、その次に石の形や性質を見極めて選別し、それに合わせた積み方をすること。『一ぐり、二石、三に積み』はさような意味にござりまする。市之丞殿に言わせれば、こたびはさほど難しい技法は使っておらぬ、と。竜王にはまだまだ石積みの秘法が残っているという話にござりました」
菅助の話を、晴信と信方は真剣な面持ちで聞いている。
「こたびは石堤だけでしたが、あの者たちの技能ならば、石垣の上に建物を乗せることも可能かと。つまり……」
「つまり、築城や修復にも使える技能を持っていると?」
晴信が先に答えを言う。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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