よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)3

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「ご明察にござりまする。これから信濃では城の修復や急拵(きゅうごしら)えの砦の造成などが必要になってくるのではありませぬか。そのために竜王の石工衆を召し抱えておくのも、妙手ではないかと存じまする」
「菅助、そなたは築城術も心得ておるのであったな?」
 晴信の問いに、菅助が乱杭歯(らんぐいば)をのぞかせて笑う。
「駿河で学ばせていただきました。多少の心得ならば、ござりまする」
「さようか。こたびの治水が首尾良く終えられたならば、そなたと竜王の石工衆には特別な褒美をつかわす。そなたから褒賞の話を伝え、あの者たちをまとめておいてくれぬか」
「承知つかまつりました」
「大儀であった」
「では、失礼いたしまする」
 山本菅助は少し脚を引き摺(ず)りながら謁見の間を後にした。
「さすがに眼の付け所が違う。雪斎(せっさい)殿が見込んだだけのことはありまするな」
 信方が感心したように呟く。
「面白き奴だ」
「されど、なにゆえ、義元(よしもと)殿はあれほど才気のある者を召し抱えなかったのでありましょうや?」
「今川(いまがわ)家には人材が余っているのであろう。当家はとにかく人材が欲しい。これから、なおさら人が必要になるからな。見映えなどには、かまっておられぬ。それに少々偏屈で、癖のある者の方が、余の性には合っているようだ。板垣、そなたのようにな」
「若!」
「人の本性を知るのは面白い。意外なところに寳(たから)が隠されているからだ。それに、好き嫌いだけでは量れぬ相性というものもある」
 晴信は不思議なことを呟く。
 ――好嫌だけでは量れぬ相性……。若はあの娘のことを申しているのだろうか?
「……偏屈なそれがしでも懐に入れていただけるほどの器量ゆえ、皆がお慕い申し上げるのでありましょう。若がどれだけの人心を器に入れられるか、これから楽しみにござりまする」
「皮肉を申すな、板垣」
 晴信と信方は顔を見合わせて笑った。
 その夜は、麻亜と二人きりでくつろぐと決めた。
 あまりに上機嫌な晴信を見て、思わず麻亜が訊く。
「晴信様、何か良きことがありましたか?」
「ああ、長年望んできた願いが叶(かな)い始めた。甲斐はますます豊かになるぞ。もちろん、諏訪もだ」
「それは嬉しゅうござりまする」
「そなたも祝盃に付き合え」
「……申し訳ござりませぬ。今宵は……」
「どうした、加減でも悪いのか?」
「いいえ、少し胃の腑(ふ)が弱っているだけにござりまする」
「さようか。明日、薬師(くすし)に妙薬を届けさせる。ならば、今宵はもう休むとしよう」
 二人はいつもより早く閨へ入った。
 ところが、蒲団に横たわった途端、麻亜が白布で口を押さえ、苦しそうに空嘔(からえずき)を繰り返す。
「大丈夫か。いま薬師を呼んでくる」
 そう言った晴信の袖を摑(つか)み、麻亜が呟く。
「……大丈夫にござりまする。こうしていれば、治まりますゆえ」
「さようか……」
 晴信は心配そうな面持ちで、麻亜の背をさすってやった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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