第四章 万死一生(ばんしいっしょう)4
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
――もはや、関東管領の援軍を借りて小県へ返り咲くという策は消えた。同様に、棟綱殿に付き従って吾妻に留(とど)まる理由もなくなった。自ら動いて小県を取り戻すしかなかろう。滋野一統の矜恃は、真田が回復させてみせる。いかなる手を使うてでもだ。
心を決めた真田幸綱は、密かに一人で佐久(さく)へ向かう。
親戚の禰津(ねづ)元直(もとなお)を訪ねるためだった。
この漢(おとこ)とは海野平の敗戦を機に袂(たもと)を分かったが、文(ふみ)のやり取りだけは続けていた。
久々に再開した二人は昔話に興じた後、自然に河越城夜戦のことを話し始める。
子細を聞いた禰津元直が不敵な笑みを浮かべた。
「なるほど。北条の信じ難い勝利の裏には、さようなことがあったのか。して、そなたがここへ来たということは、やっと棟綱殿から離れる決心がついたということか?」
「……まあ、そういうことだ」
「だから、あの時、申したではないか。棟綱殿が頭領である限り、滋野一統は小県へ戻れぬと」
「……そなたの忠告を無視したわけではない。一縷(いちる)の望みを抱いたのだ、皆で小県に戻りたいと」
「今さら責めるつもりもない。それぞれが選んだ道だからな。ところで、武田家に従う決心はついたのか?」
「いかなる手を使うても小県へ戻ると決めた。武田家に従うことも、そのひとつだ」
「さようか。ならば、武田の御屋形(おやかた)様に話を繋(つな)ぐことはできる。されど、武田家への仕官は、さほど簡単ではないぞ」
「……わかっている。取り立ててもらうために、何でもするつもりだ」
「ほう、鬼弾正がそう申すならば、本気ということか。ぎりぎり間に合うたかもしれぬな」
禰津元直の言葉に、真田幸綱は小首を傾(かし)げる。
「……何が、であろうか?」
「近々、武田家は佐久へ打って出る。もちろん、その次は間髪を入れずに砥石(といし)城だ。そこで一仕事せよ。そなたほど、あの城に通じている者はおらぬからな。それを宮笥(みやげ)に武田へ入れてもらえばよい。あの憎き村上(むらかみ)にも仕返しができる。どうだ?」
「願ってもない。段取りは、そなたに任せる。よろしく頼む」
真田幸綱は素直に頭を下げた。
「承知した」
禰津元直は快諾する。
河越城の敗戦を機に、真田幸綱は小県への復帰を果たすため、旧知の禰津元直を通じて武田家に接近し始めた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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