よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)4

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

  三十一  

 晴信(はるのぶ)が河越城夜戦の結果を知ったのは、北条勢が奇襲を成功させた四日後のことである。
 ――北条氏康、やはり只者(ただもの)ではなかったか……。
 もちろん、驚きもあったが、それが正直な感想だった。
 同時に、心のどこかで安堵も覚えていた。
 ――これでやっと和睦を結んだ三家が背を預け合うような格好になった。今の当家にとっては、北条家の力が武蔵から完全に削(そ)がれ、関東管領の権勢が大きくなりすぎて信濃まで及ぶようになるのは、明らかにまずい事態だった。できれば、上野の南側で北条家と互角で争いを続けるぐらいの状況が望ましい。そうすれば、関東管領が碓氷(うすい)峠を越えて佐久へ出張ることもないからな。ともあれ、この一戦により、大きく変わった坂東(ばんどう)の勢力図を見据え、佐久への侵攻を急がなければならぬ。
 そのように考え、すぐに軍評定を招集する。
 大広間に並んだ家臣たちの顔からは、戦を目前にした者たち特有の緊張が見て取れた。
「坂東での合戦については、すでに皆も存じていると思う。意外というよりも、戦というものの底知れぬ恐ろしさを垣間見る思いであった。されど、この結果が当家にもたらす吉凶を占うている暇はない。少なくとも、勝者は当家と和を結んだ北条家であり、信じ難い負け方をした関東管領は茫然自失の状態であろう。ゆえに、この機を逃さず、関東管領の軍勢が立ち直る前に、佐久へ打って出る。皆、よろしく頼む」
 晴信の言葉に、一同は「おう」と気勢を上げる。
「では、板垣(いたがき)。こたびの要諦を説明してくれ」
「承知いたしました」
 信方(のぶかた)が背筋を伸ばして一同を見廻す。
「こたびの出兵は佐久平全般を制するためとなるが、そのほとんどが城攻めになるであろう。つまり、われらの消耗も覚悟しておかねばならず、難しい戦いとなるやもしれぬ。最初の標的は長窪(ながくぼ)攻めで取り逃がした大井(おおい)貞清(さだきよ)と内山(うちやま)城の攻略だ」
 信方が言った大井貞清とは、三年前に晴信が攻略した長窪城々主、大井貞隆(さだたか)の実弟である。
 この長窪城攻めは、晴信の諏訪(すわ)の攻略と深い関係があった。 
 大井貞隆が惣領であった岩村田(いわむらだ)大井家は元々、諏訪頼重(よりしげ)と盟を結んだ武田信虎(のぶとら)に敵対しており、諏訪家に長窪城を奪われて佐久の内山城へ逃げていた。
 しかし、天文十年(一五四一)の代替わりの後、晴信と諏訪頼重が手切れとなり、武田家は諏訪への侵攻に踏み切った。
 その隙に乗じて、大井貞隆は諏訪家から長窪城を奪還する。
 だが、諏訪を制した晴信は、諏訪から小県への途上にある長和(ながわ)の長窪城を要所と判断し、奪回を決意する。大井貞隆の家臣であった相木(あいき)昌朝(まさとも)や芦田(あしだ)信守(のぶもり)を内応させ、天文十二年(一五四三)九月にこの城を落とした。
 その時、大井貞隆の実弟である大井貞清が佐久の内山城へ逃れ、勝手に岩村田大井家の惣領を名乗り、武田家への反目を続けていた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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