第四章 万死一生(ばんしいっしょう)8
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
三十六
天文十七年(一五四八)一月十五日、小県への出兵を間近に控えた晴信へ予期していなかった悲報がもたらされる。
陣馬奉行の原昌俊が喀血(かっけつ)して倒れ、そのまま病床に臥(ふ)してしまったのである。
これを受け、信方が原昌俊を診た薬師(くすし)の話を聞き、その内容を報告に来た。
「……若、昌俊は昨年からの不調を隠していたようにござりまする。以前より、咳気(がいき)がひどいとは申しておりましたが……」
「薬師の見立ては?」
「はい……。労咳(ろうがい)ではないかと」
信方の言った労咳とは、結核のことである。
「喀血するほどの肺腑(はいふ)の病いとあらば、徒事(ただごと)ではないな」
晴信が顔をしかめる。
「しかも、労咳はうつり病いゆえ、迂闊(うかつ)に近づくこともできぬと……」
「ならば、今は静養してもらうしかあるまい。あれほど優れた陣馬奉行が出陣前に抜けるのは痛手だが、加賀守の軆(からだ)のことが第一だ」
「出陣の予定を遅らせまするか?」
信方が主君の表情を窺(うかが)う。
「判断が難しいところだな……」
晴信は思案顔で腕組みをする。
「昌俊から伝言がありまして、己は出陣できませぬが息子の昌胤(まさたね)を陣の端にお加えいただきたい、と」
「昌胤は元服して間もないではないか」
「はい、齢(よわい)十八になったばかりにござりまする。されど、昌俊曰(いわ)く、幼少の頃から陣馬奉行の何たるかを厳しく仕込みましたゆえ、補佐の役目ぐらいならば務まるとのことにござりまする。昌俊が申すならば、間違いはありますまい」
「さようか。されど、実戦の経験が少なすぎるゆえ、あくまで補佐として随行させるしかあるまい。もしも、予定どおりに出陣するとしたならば、誰を代わりの陣馬奉行に立てるか?」
晴信の問いに、信方は眉をひそめる。
「武者奉行の信邦(のぶくに)……」
まずは晴信の兵法指南役でもあった加藤(かとう)信邦の名を上げた。
「……あるいは、甘利か」
次に甘利虎泰の名を上げる。
「されど、甘利を陣馬奉行として後方へ置くのは、少々、勿体(もったい)のうござりまする」
「そうだな。備前守(びぜんのかみ)の武力は、そなたや鬼美濃と並んで、わが軍の要だからな。加藤を陣馬奉行に任じ、原昌胤を補佐に付けるとしよう」
「承知いたしました。では、それがしは信邦と話をしてまいりまする」
「頼む」
晴信が頷(うなず)いた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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