よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)8

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「出陣に……異存、ござりませぬ」
 最初に声を出したのは、甘利虎泰だった。
「右に同じく!」
 原虎胤が短く答える。
 それを聞いた他の者たちも、次々に「異議なし」の言葉を発した。
「皆に異存がないのならば、小県への出陣を二月朔日(ついたち)とする。ついては、加藤信邦を陣馬奉行の代行に任じたい。加えて、信繁、原昌胤、そなたら両名を補佐に任じる」
 若い補佐の抜擢(ばってき)に、一同がどよめく。
 弟の信繁は眼を輝かせて兄の顔を見る。補佐の件は事前に知らされておらず、望外の任命だったからである。
「……有り難き仕合わせにござりまする」
 信繁が両手をついて頭を下げ、原昌胤もそれにならった。
「では、これから策を煮詰めたい。皆、忌憚(きたん)なく具申してくれ。では、板垣(いたがき)。取りまとめを頼む」
「承知いたしました」
 進行が信方に代わり、小県出兵の具体策が練られる。
「こたびの出陣は五千の兵を目安としているが、まずはその進軍経路について話し合いたい。諏訪を起点として考えるならば、霧ヶ峰(きりがみね)の山麓から大門(だいもん)峠を抜け、小県の信濃国分寺表(こくぶんじおもて)へ出るのが最短と考える。加えて、足場として確保した佐久をどう使うかということもある。もし、使うとするならば、別働隊を仕立て、内山(うちやま)城から小諸(こもろ)へ抜ける経路を進み、国分寺表で合流することになるであろう。果たして、それが得策かどうか、皆の意見を聞きたい」
 その話に、甘利虎泰がすぐ反応する。
「こたびは軍を二つに分ける必要がありましょうか?」
「続けてくれ、甘利」
「はい。佐久はあくまでも退路の確保をするための足場として使えばよく、内山城と小諸に小隊を置くだけで事足りると存じまする。それよりも、心配なのは、こたびの出陣に際し、小笠原(おがさわら)が妙な動きをせぬかということにござりまする。大門峠越えを経路とするならば、塩尻(しおじり)辺りに備えを置くべきではありませぬか」
「なるほど。小笠原が村上と通じているとは思えぬが、塩尻辺りに出張ってくるという恐れはあるな。牽制(けんせい)のためにも、塩尻に一隊を置くことは必要かもしれぬ。さて、誰に任せるか」
 信方は一同を見廻す。
 その中で、駒井(こまい)昌頼(まさより)が手を挙げる。
「下諏訪の衆を預けていただけるならば、それがしが小笠原を止めてみせまする」
「さようか。では、塩尻の備えは、昌頼に任せる」
 信方の言葉に、皆が頷いた。
「して、肝心の戦は、いかような構えになるのであろうか?」
 原虎胤が信方に訊く。
「それについては地図を見ながら説明した方がよかろう。信邦、頼む」
「承知いたしました」
 陣馬奉行代行となった加藤信邦が小姓に小県一帯の要所を記した大地図を広げさせた。
「それがしから、地勢の要諦を説明させていただきまする」
 加藤信邦が指し棒を手に言葉を続ける。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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