よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)8

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「ご覧の通り、小県は北国(ほっこく)街道の上田(うえだ)宿を中心とし、街道に並行して走る千曲川(ちくまがわ)の両岸に広がる地域になりまする。南東の境は海野(うんの)宿から小諸に至る辺りとなり、北西の境は坂木(さかき)宿であり、ここには村上義清が本拠とする葛尾(くずらお)城もありまする。今のところ、小県で村上勢が出城としているのは上田宿の東に位置する砥石城、北側の虚空蔵山(こくうぞうさん)城と考えておけばよいと存じまする。これが概要となりますが、何か、ご質問は?」
 信邦の問いかけに、一同は疑問を挟まない。
「では、続けさせていただきまする。われらが長和(ながわ)の長窪(ながくぼ)城を足場とし、大門峠を越えて進軍すれば、千曲川の支流である依田川(よだがわ)に沿って北東へ進むことになり、信濃国分寺表の手前にある大屋(おおや)という地へ出ることになりまする。ただし、北国街道に至るためには依田川との合流点を見据えながら、千曲川を渡らなければなりませぬ。もしも、村上勢が対岸にいた場合は、この渡河がまず最初の関門となりまする。敵が布陣していない場合は素早く渡河し、国分寺まで一気に寄せるのが上策と存じまする。されど、ここにも第二の関門がありまして、国分寺表の手前には神川(かんがわ)が流れており、これを越えなければ国分寺を陣とすることはできませぬ。ここまでの説明ですでにお気づきのことと思いますが、小県の地勢で最も重要なのは、千曲川の流れとそれに繋(つな)がる数多くの支流にござりまする。真冬のことゆえ水位は高くないとしても、やはり、いくつかの渡河が戦いの鍵になると考えまする」
 加藤信邦が陣立の要諦を説明した。
 信方がその話を引き取る。
「行軍や布陣については信邦が申した通りだ。あえて、簡略に言えば、こたびの目的は村上の最大の拠点である砥石城を落とすことである。されど、敵が籠城ではなく野戦に打って出てきた場合、それを撃破した後に城攻めに移ることになるであろう。村上義清の本隊が出張ってくるかどうかも含め、敵の出方を見ながら臨機応変に構えを変えなければならぬ。そのためにも北国街道の途上にある信濃国分寺を奪取し、われらの本陣とすることが当面の狙いとなる。鬼美濃、これで答えになっているか?」
「よくわかり申した! 眼前の敵をことごとく潰し、砥石城を落とせばよいのだな」
 原虎胤が豪快に吠(ほ)える。
「……まあ、そういうことだが」
「ところで、村上義清は狡猾(こうかつ)で癖のある武将だと聞き及んでいるが、こたびは当人が出張ってくると踏んでいるのか、駿河守(するがのかみ)殿?」
「五分五分か……。いや、出張ってくると考えておいた方がよかろう」
「なるほど。されど、そもそも、なにゆえ村上義清は南下しようとしているのだ。まだ善光寺平(ぜんこうじだいら)を制したわけでもあるまいに。北信濃でおとなしくしておればよいものを」
「小県という由緒ある領地が欲しかったのであろう」
「それで当家と小笠原を誑(たぶら)かし、小県から滋野(しげの)一統を追い出しにかかったというわけか。狡賢(ずるがしこ)さは認めてやるが、実際のところ、村上の強さというのは、どの程度のものなのだ?」
 皮肉な笑みを浮かべ、原虎胤が問う。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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