よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)8

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「村上義清については、それがしが調べておりまする」
 跡部(あとべ)信秋(のぶあき)が挙手する。
「村上家は河内源氏(かわちげんじ)の庶流にして信濃の更級(さらしな)郡村上郷を発祥の地としておりまする。その後、埴科(はにしな)郡坂木郷に葛尾城を築き、善光寺平の井上(いのうえ)家や水内(みのち)郡の高梨(たかなし)家を下して北信濃で領地を広げてたようにござりまする。坂木郷に本拠を移してから隣接する小県への侵攻も始まり、同時に信濃守護の小笠原家とも対立するに至っておりまする。特に、村上義清に代替わりしてからは版図(はんと)の拡大が著しく、一時は信濃守護代であった佐久郡の大井(おおい)家まで下しましたが、これは御先代の信虎(のぶとら)様によって奪われ、再び埴科郡まで後退を余儀なくされておりまする。されど、この遺恨がありながら、村上義清はあえて御先代の信虎様や小笠原家と手を結び、小県から海野棟綱(むねつな)を駆逐し、まんまと砥石城を掌中に収めました。この辺りが村上義清の性向であり、一時の怨恨に囚(とら)われず、徹底して利を得る策を進められる狡猾さを備えているのではありませぬか」
「ふっ。義よりも、迷わず利を選ぶ奴ばらということか」
 原虎胤が鼻で笑う。
「それゆえ、油断がなりませぬ。何か、思わぬ謀計を仕掛けてくるやもしれませぬ。辺りの勢力に怪しげな動きがないか、出陣までに全力を挙げて諜知いたしまする」
 跡部信秋は冷静に答えた。
「これで皆にもこたびの戦の概要がわかったと思う。細かな陣立や策については、これから何度か煮詰めることになると思うが、決して楽な戦いでないことは確かだ。気を引き締めて支度をしてくれ。御屋形(おやかた)様、最後に御言葉を」
 信方が評定の締めを願う。
「時節柄、厳しい行軍と戦いになるが、これまで重ねてきた勝利を無駄にせぬためにも、一気に小県を奪取したい。その暁には、新たに得る領地も含め、皆に加増として分け与えたいと思うておる。そのつもりで、戦働きしてくれ。以上だ」
 晴信は褒賞を約束して一同を鼓舞した。
 評定が終わった後、原虎胤が信方に歩み寄る。
「駿河守殿、これでよかったのであろうか?」
「それはいかなる意味か、鬼美濃」
「加賀守殿の件も含め、この玄冬の出陣は少しばかり急ぎすぎではありませぬか。下手をすれば、雪中の行軍と戦いになってしまう。春まで出陣を延ばすべきではなかったかと」
「それは相手も同じであろう。若が申された通り、今は勝ちの余勢を逃すべきではない」
「確かに、そうなのだが……。そろそろ玄冬の寒さが骨身に沁みるようになりましたゆえ」
「何を申すか。そなたはこの身より八つも歳下ではないか。生意気を申すな」
「さりとて、駿河守殿も雪中の行軍が厳しい御歳になられたのではありませぬか?」
「言われるほどの老骨ではないわ。気合で乗りきるだけだ」
 信方が苦笑しながら答える。
 この年で信方が齢六十、原虎胤は齢五十二になっていた。
 病いに臥した原昌俊が齢六十一であり、甘利虎泰もついに五十路(いそじ)に入った。
 それだけ家中が円熟したともいえるが、重臣たちの老いも進んでいた。
「村上を倒せば、あとは小笠原だけだ。信濃の制覇も目前だ。今はとにかく眼の前に敵を倒すことだけに集中せよ」
 真顔に戻った信方が言う。
「承知!」
 原虎胤も鬼面に戻って答えた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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